古河総合公園の大賀蓮2 |
夫木和歌抄(ふぼくわかしょう)から西行法師の歌。
霧ふかき 古河のわたりの わたし守
岸の船つき 思ひさだめよ
(意)霧が深い古河の渡しの渡し守さん、きちんと舟を岸に付けてください。
西行法師は陸奥の国へ2回旅をしています。この歌は何回目の時の歌なのかはっきりしていません。山家集等には下総や下野の歌がほとんど残されていません。理由は分からないのですが詠わなかったはずがないので多分散逸したのだと思います。西行法師は2回目の奥州への旅は東大寺の大勧進重源(ちょうげん)の依頼によって東大寺再建のための砂金勧進のため奥州藤原氏の棟梁であった藤原秀衡(ひでひら)を平泉に訪ねています。藤原秀衡は西行の求めに応じ直ちに鎌倉の源頼朝経由で東大寺の大勧進重源に砂金を送ったと伝えられています。この平泉への旅の途中に鎌倉で源頼朝と夜遅くまで和歌と弓馬の道を話し合ったと言われています。西行法師はもともと俗名を佐藤義清(さとうのりきよ)と言う北面の武士で同僚には平清盛がいました。また平泉の藤原氏と同族で藤原秀郷を祖とする武家の秀郷流の藤原氏でした。
平安時代後期の東海道は相模の国を経て武蔵の国に入りました。武蔵国とは現在でいう東京都と埼玉県及び神奈川県の一部を合わせた広大な土地でした。武蔵国の国府は現在の東京都府中市にありました。面白い事に武蔵国の一宮は埼玉県の大宮にあります。国の国衙(官庁)と一宮がこれほど離れているのは珍しいのです。何か統治上の理由があったのでしょう。古代の官道は各国の国府を結んでいました。古代の道(どう)は道路との意味だけではなく行政区分でもありました。武蔵国が東山道から離れ東海道に組み込まれたのは奈良時代の後期です。それまでの東海道は伊豆の国から鎌倉を経由して東京湾を船で渡り、房総半島の安房国に上陸して上総・下総国を経由し、常陸国の国府(現在の茨城県石岡市)が終点でした。その後、行政区分として武蔵国が東山道から東海道へ変わった事により西行が陸奥まで歩いた旅は武蔵国を横断して下総国へ古河の渡しから入り常陸国府経由で陸奥国の奥州平泉へ入ったのだと思われます。古代の官道は時代とともに変遷しました。西行の時代の東海道がどの道を通ったかは確定できていません。
P.S.
☆志賀原発直下に活断層か、国が見落としの疑い
毎日の様にこの手の話です。日本政府は国民の生活の安全のためではなく国が後押しをしてきた特定企業の利益を優先する機関になり果てたのでしょうか?
☆南海トラフ、津波対策へ特別法 東日本超える被害想定
それでも原発再稼働しますか?
☆脱原発集会:「17万人」参加、最大規模に 代々木公園
あの暑さの中で17万人とは凄い参加人数です。政府は無視をしたいのでしょうね。
☆発信箱:「基地」を笑う=大治朋子(外信部)
☆社説:水俣病救済期限 潜在患者切り捨てるな (2ページです)
国家とは何か?原発事故の問題から水俣病それから他の薬害問題も考えさせられます。
☆《いじめられている君へ》森永卓郎さん
私達の世代でも色々といじめはありました。私の小学校の時代は弱いものイジメをすると女子達がまとまってイジメッ子を懲らしめに来ました。いまはそんな事はないのでしょうね。難しい問題ですね。先生達に権威が無くなったのも一つでしょうね。私の頃は特攻隊あがりの先生がいて竹刀を持って校内を歩いていました。竹刀でぽかぽか殴られましたが決して暴力ではなくあまり痛くはありませんでした。PTAも誰も文句は言いませんでした。いまだったら馬鹿親が大騒ぎをするでしょう。時代が変わったのでしょうね。
☆自民総裁選に出たら?
大賛成です。野田総理は1日も早く民主党を離党して自民党野田派を早く作るべきでしょう。野田派が民主党を出てくれれば民主党はまた強い政党に生まれ変わる可能性が僅かですが有ります。官僚支配から脱出する好機となります。