東京港 晴海埠頭の夕景2 |
帰りは門前仲町で知人と待ち合わせでしたが晴海客船ターミナルも早く閉まっていてタクシーも全く来ないので都バスに乗って勝どき駅まで出て都営の大江戸線に乗りました。都バスは銀座方面は1時間に2本の運行なので晴海客船ターミナル前のバス停で寒さを堪えながらしばらく待ちました。やはり交通の便の非常に悪い場所です。
洲崎辺(すざきべ)に 漕ぎ出でて見れば 安房(あは)の山の
雲居なしつつ 遥けく見ゆも
(意)洲崎あたりに漕ぎ出して見ると、安房の山が雲のようになって遥かに見えるよ。
洲崎は今の東京都江東区木場六丁目から東陽二丁目あたりの事をさします。洲崎弁天があり、江戸庶民の遊覧の地でした。この時代はまだ洲崎あたりは埋め立てが始まっていなくて洲崎弁天が海辺の最先端で東京湾に面していました。風光明美な場所として江戸庶民の憩いの場でもありました。寛政3年(1791年)に台風に襲われ高潮により洲崎一帯は壊滅しました。江戸幕府は須崎に建物を建てることを禁止した時期もありました。その後埋立てが進み深川洲崎十万坪と呼ばれ多くの時代小説の舞台になっています。明治19年には吉原遊郭が東京の人口爆発のために手狭になったためと、根津遊郭が本郷に東京帝国大学を作ることになったための移転先として新たに洲崎に遊郭が作られ「洲崎パラダイス」と呼ばれ昭和33年の売春禁止法まで吉原と並んで栄えました。