隅田川 清洲橋~永代橋の夜景 |
2月5日の隅田川の清洲橋~永代橋の夜景です。NYのような風景は月島のマンション群と白色の水銀灯と暖色系のカクテル光でライトアップされている中央大橋の橋梁です。カメラはソニーα7とタムロン18-200mmです。夜景モードの手撮りです。α7はフルサイズのデジカメですがタムロンのレンズはAPS-Cサイズです。α7の設定をAPS-Cサイズに設定すればAPS-Cサイズで撮れてレンズの手振れ補正が効きます。簡単に言えばAPS-Cサイズはフルサイズのほぼ1.5倍で撮影できると言う事です。APS-Cの18-200mmレンズはフルサイズ(35mm)のα7では27-300mmで撮れると言う事です。分かりにくいですね。時々私も混乱をします。
田安宗武の家集「悠然院様御詠草」から
永き代の 橋を行きかふ 諸人は
おのづからにや 姿ゆたけき
(意)永き代という名の橋を往き交う人々は、自然と姿も悠然として見えるのだろうか。
永代橋を詠った歌です。田安宗武は徳川吉宗の次男で御三卿の田安家の始祖で現在の田安門に屋敷を持っていました。御三卿とは田安家・一橋家・清水家でそれぞれ10万石を幕府から藩主に支給され、家臣は旗本からの出向でした。御三卿の待遇は将軍の家族の扱いで徳川を名乗りました。
永代橋はブルーにライトアップされ川面に反射がして非常に綺麗です。永代橋が架橋されたのは、元禄11年(1698年)で、第5代将軍徳川綱吉の50歳を祝して隅田川に架けられました。当時は現在の位置よりも100m程上流に架けられました。江戸防衛のために隅田川には江戸幕府成立直後は橋は架けられず、渡し舟で隅田川を越えました。そもそも江戸中期までは隅田川から東側は江戸ではなく下総国と武蔵国で江戸町奉行の管理ではなく勘定奉行の下部組織である関東郡代の管理する土地でした。その後深川の埋め立てが進み人口が増えてきたので江戸町奉行の管理になったのです。隅田川に最初に架けられた橋は千住大橋で、奥州街道を渡す橋でした。その後、明暦の大火の後に両国橋が作られ、その後に新大橋、永代橋が元禄年間に作られました。そのさらに後には、町方による吾妻橋の架橋が許可されています。隅田川に架かる橋は通常寿命は20年と言われています。他に水害や火事などにより度々橋を架けかえる必要があり幕府にとって非常に財政負担が重くなり橋の手入れが少し雑になったのでしょう。そして旧暦の文化4年8月19日(1807年)深川富岡八幡宮の12年ぶりの祭礼日に日本橋方面から深川に向けて詰め掛けた群衆の重みに耐え切れず、落橋事故を起こしました。橋の中央部よりやや東側の深川に近いところの部分で数間ほどが崩れ落ち、前の状況が分からないために後ろから群衆が次々と押し寄せて将棋倒しに転落し、死者・行方不明者は実に1400人を超え、史上最悪の落橋事故と言われています。この時に永代橋の警備をしていた南町奉行所同心の渡辺小兵衛が橋の欄干を伝わって崩落現場まで辿り着き、「皆の者!」 ... と言って刀を抜いて振り回し 、それを見た群衆が危機を察し、後ずさりをしたため、その後人が落ちなかったと言われています。とっさの判断だったのでしょう。当時の江戸町民は泳げない人がほとんどでした。この事故の時に多くの川船の船頭達が泳いで多くの人を救助しました。この事故について、幕府の高級官僚の端くれにいて勘定奉行所の勘定支配まで出世をした天明期の代表的な文人で狂歌作家だった大田南畝(おおたなんぽ)が舟で警備のために永代橋のそばにいてこの事故を目撃しました。大田南畝はこの事故の目撃を狂歌を書き残しています。
永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼
現在の永代橋は大正15年に震災復興事業の第一号として現在の橋が再架橋されました。「帝都東京の門」と言われたこの橋はドイツ ライン川に架かっていたルーデンドルフ鉄道橋をモデルとしました。
赤いライトの清洲橋は関東大震災後の復興事業の一環として架けられ「震災復興事業の華」と謳われました。当時世界最美の橋と呼ばれ第2次世界大戦で連合軍の空爆で破壊されたドイツのケルン市にあったヒンデンブルグ橋の大吊り橋をモデルにしています。名前の由来はもともと渡し船で結ばれていましたが、清洲橋の両岸である深川区清住町と日本橋区中洲町から名前が採られて清洲橋と呼ばれました。
P.S.
☆ベルギー、子どもの安楽死を合法化
悲しい話です。
☆ソチで袋叩き必至 世界が軽蔑する舛添“セクシスト”都知事 (2ページです)
彼が女性差別論者であることは昔から有名な話です。先進国では女性差別の発言をすると即アウトになり社会の信頼を失います。日本の後進性をアピールする事になります。ヨーロッパでは安倍は日本のヒットラーと言われていて首都の知事が女性差別論者では救いようがありません。それを国民が支持をしているのですから中国や韓国の間違えている主張を正しいと判断されてしまいます。まさに国益に反するのです。
☆米南部襲来の寒波で交通網に乱れ、大規模停電が発生
☆猛吹雪の米北東部、白く染まったワシントンとNY
これはアメリカ経済にも大きな影響を与えるでしょう。
☆日本の景気はもう「下り坂」? 消費増税、本当に大丈夫なのか
アベノミクスの御先棒を担いで鉦や太鼓をたたいてきたマスコミや経済評論家の風向きが変わってきています。かなりヤバイと言うより無理だと気が付いたのでしょう。安倍やそのグループはまだ気が付いていないのでしょう。アベノミクスが失敗に終われるとアベノミクスなどやらなければよかったと言うほど酷い事になります。安倍が早く気が付いて死ぬ気になって第3の矢を打ち出せばまだ何とかなるかも知れません。しかしそれは既得権益の否定なのですから安倍には無理です。
☆私が恨むべき日本はいったいどこに? 日本を訪れて“妄想”がなくなった―中国ネットユーザー
☆集合時間の守り方1つみても、「日本人と中国人の教養の差は歴然」=在米台湾人ガイドが体験談―中国紙
日本は本当に美しくて本当に平和な国なのです。安倍の言っている「美しい国日本」はいつでも戦争が出来る神の国日本です。まったく違います。
☆北朝鮮についにオオカミが来てしまうのか? 通貨の信認失墜の大きすぎる代償 (4ページです)
北朝鮮がどうなるかは分かりません。韓国は朝鮮半島統一の念願のために中国に媚を売っているのでしょうが、中国は決して甘くありません。中国は北朝鮮は中国の地方政権で中国の領土だと思っているのです。領土の割譲など中国ではありえません。中国にとって北朝鮮は中国領であるとする理論的根拠は「東北工程」と呼ばれる新理論です。簡単に言えば古代の北部朝鮮と中国東北部に存在をしていたツングース系民族の独立国家の「高句麗」とその後継国家「渤海」は中国に朝貢していて、昔から中国王朝の地方政権であったとする考古学の理論なのです。中国の古代王朝の「隋」は言う事を聞かなくなった高句麗を討伐するために2回の出兵で高句麗に敗れたために中国各地で反乱が起きて国家が滅びました。東北工程は滅茶苦茶な理論なのですがそもそも中国共産党の領土的野望のために考え出された理論で、ロシアのウラジオストックも中国領であると言う根拠ともなっています。この理論では隋・唐へ朝貢していた大和も新羅も中国領土であると言う事になります。滅茶苦茶ですが、滅茶苦茶でも気にしないのが中国共産党です。力こそすべてだと思っているのです。そのうち何か言いがかりをつける時にでも利用できると思って滅茶苦茶でも言い続けるのです。
☆「日米安保条約はもはや賞味期限切れ」 日高義樹氏に聞く「いま備えるべき日本の安全保障」論 (5ページです)
安倍グループのような単細胞な極右の発想では将来の日本を守れないでしょう。大変ですが平和憲法で専守防衛しか日本は生きられないと思います。アメリカ頼みは今後は難しいどころか逆に足を引っ張られる可能性があります。それだけに広い視野を持ち頭の良い政治家が出てくればいいのですが!
今上天皇は昨年12月の80歳の誕生日前の記者会見で「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」と述べました。この言葉を天皇陛下万歳と言う安倍総理はどのように受け止めたのでしょうか?朝日新聞によると、その2カ月前に美智子皇后も自身の誕生日前に出した文書回答で「憲法」に触れました。「5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら、かつて、あきる野市の五日市を訪れた時、郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち、地域の小学校の教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が、日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが、近代日本の黎明期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います」と明治憲法の公布前に民間有志が起草した「五日市憲法草案」を紹介したのだそうです。基本的人権の尊重、言論の自由など現憲法につながる内容が記された「世界でも珍しい文化遺産」と評しました。私達ももっと賢くなって天皇皇后両陛下の思いを受け止めないといけないのでしょう。安倍はこの点から言えば昔風の言い方に従えば「不忠の臣」と言う事になります。国民はもっとしっかりと目を見開いて見ていないととんでもないところへ安倍に連れて行かれ敗戦の屈辱を受ける事になりかねません。
☆中国「性の都」摘発劇、裏に権力闘争か… 習氏がライバルの牙城“狙い撃ち” (2ページです)
広東省トップの胡春華・共産党委員会書記は、改革志向の共産主義青年団(共青団)出身で前国家主席の胡錦濤の直参旗本の様な人物です。習国家主席は権力基盤が弱いので上海閥の江沢民元国家主席の権力基盤に乗っているのですが、江沢民は中国国内では権力にによる賄賂政治を推し進めてきたので非常に評判が悪いのです。中国の反日キャンペーンは江沢民派が中心となっているのです。習国家主席は太子党の過去の権力基盤に寄っています。一方の共産主義青年団をバックにしている現総理の中国共産党のNo.2の李克強は第五世代の共産主義青年団の出身です。次の政権の担う第六世代は人材豊富でそのトップは胡春華(こ しゅんか)広東省トップの広東省委書記です。それが狙いうちをされたと言う事なのです。同じく第六世代の周強(しゅう きょう)は最高人民法院長です。他にも多くの人材が共産主義青年団から巣立っているのです。習を中心とする太子党や江沢民を中心とする上海閥にとっては共産主義青年団は目の上のタンコブなのです。権力闘争ですね!
☆バブルで富める中国人崩壊で世界を揺るがすリスク 破裂なら債権総額300兆円
いよいよ中国の影の銀行の破裂が近づいています。すでに一部ではデフォルトが始まっているようです。中国経済だけではなく世界経済への影響は大きすぎて計測不能でしょう。中国政府の過去の経済指標が信用できない数字なのです。中国政府の幹部も政府発表の数字を使わずに大学や研究機関の発表する数字を使っています。1月末の危機は中央政府が資金を出して危機を回避しましたが、今月初めのデフォルトは始まったようです。中央政府としても政府資金を出す事で時間稼ぎをしたいのでしょうが、いずれは収拾が出来なくなるはずです。中央政府としても全国でどれだけ不良債権があるのか把握できない状態なのでしょう。
☆<大阪市長出直し選>共産党、独自候補を擁立せず
日本共産党も少し大人になったようです。これでは大阪市長選挙が空洞化しますね。そもそも大義のない選挙です。喧嘩を売る橋下流の戦略が不発になりますね。
☆政府、中韓のロビー攻勢に反撃 国際広報予算を5倍に 戦略的発信を強化 (2ページです)
こんな事は私のブログで昔から言っている事です。普通の常識を持っている人ならば誰でも考える事なのですが歴代の政権は無頓着でした。
☆血管年齢の若返りに有効なダークチョコレートの摂り方を指南
ダークチョコレートの採り過ぎは身体に悪いのです。
☆シグマに15億円支払い命令 レンズの手ぶれ補正技術特許めぐり
特許とは難しいものですね!
仕事場近くなので、しょっちゅう撮影に行ってます。
それにしても、α7の高感度ノイズ耐性は優れてますね。
α7のカメラ性能でしょうね。凄いです。
いやはや、凄い雪でしたね!
雪かきはもうこりごりです (^^ゞ
それにしても綺麗な夜景ですねぇ~!
夜の外出は殆ど無いので夜景を撮る機会も無くて (^^ゞ
撮ってみたい憧れだけが強いですね♪(苦笑)
大雪にビックリのニュースが伝わってきました。一時では会津より降っ
たようですね。でも雪はいじればいじるほど融けますから、腰を痛めな
い程度にゆっくりゆっくりがいいです。今上天皇は「憲法を守る大事さ」
を説かれています。まさに不忠の臣の安倍首相です。
すごいな~。大都会は!!
夜景を見に行きたいと強く感じました。
それにしましても、大雪大変だっとこと思います。
おまけに思い雪だったようで、除雪はとても骨が折れたと思います。
高田の雪も重かったです。
筋肉が硬直すると、寒くなりますので、柔軟をされて、あたたかくおすごしください 。
本当に凄い雪でした。浦和より川口の方が凄かったかも知れませんね。南から浦和に北上して来る車の屋根の上の雪が半端ではありませんでした。
夜景を綺麗に撮れるのはやはり冬です。それだけ寒いです!