旧古河庭園の薔薇1 |
古今集から紀貫之のうた。
我はけさ うひにぞ見つる 花の色を
あだなる物と いふべかりけり
(意)私は今朝初めて薔薇の花を見たが、この花の色を見て感じることは移ろいやすく儚いものだと言う事だ。
この歌は古今集の第10巻の物名に入っている薔薇(さうび)と題された歌です。この歌の中でサウヒを二つに分けられて読み込まれています。「さうひ」とは薔薇の事です。現代日本語ではソウビと発音しますが昔はサウヒと濁らないで読まれたようです。この辺の平安時代の発音などについては私はよく分かりません。日本には古来から原野に茨(いばら)と呼ばれる野生の薔薇が咲いていました。白い色の「ノバラ」や、「サンシヨウバラ」「ハマナス」「タカネイバラ」など、浜辺や高山に咲く赤花系の野生種がありました。紀貫之が歌った薔薇は庚申(こうしん)バラだと推定されています。庚申バラというのは、日本の野茨系とは違う中国原産の四季咲きで、現代バラ改良の母胎といわれている種類です。庚申バラによってヨーロッパの薔薇は春と秋の2回咲けるようになったと言われています。庚申バラが日本に持ち込まれた時も、恐らく珍しさと美しさで評判になっていたのだと思います。誰が持ち込んだかは分かりませんが遣唐使か留学僧が日本へ持ち帰り有力貴族へのお土産としたのだと思います。しかし薔薇はほとんど和歌などでは詠われませんでした。源氏物語などによると庭に植えられていた事が書かれています。江戸時代に中国や日本から薔薇の原種がヨーロッパへ持ち込まれ、ヨーロッパの薔薇と交配されて現代の薔薇が生まれたと言われています。シーボルトは長崎の出島の医者で植物学者でもありました。彼はヨーロッパへ日本原産の植物を送り続けました。その中に日本原産の野薔薇も含まれていてヨーロッパで庚申薔薇などと交配されてオールドローズの薔薇が生まれました。日本原産の野薔薇は耐寒性が強く病虫害にも強いのです。シーボルトがヨーロッパへ持ち出した日本原産の植物から品種改良されて現在のガーデニングで植えられている植物の元になっているのです。現代のガーデニングの父はシーボルトとも言えます。