ザ・トレジャーガーデン館林の薔薇1 |
見事な薔薇です。しかし今年は少し早すぎでした。まだ薔薇の満開とまではなっていません。まだ多くの薄いピンク系の薔薇が開花していませんでした。今年は気候のせいでしょうか薔薇の咲くタイミングが少し狂っているようです。
戦国末期の戦国大名武田信玄の「薔薇(しょうび)」と題された漢詩です。
薔薇
滿院薔薇香露新 満院の薔薇 香露新たなり
雨餘紅色別留春 雨余の紅色 留春を別(こと)にす
風流謝傳今猶在 風流謝伝 今猶お在り
花似東山縹渺人 花は東山 縹渺(ひょうびょう)の人に似たり
(意)
庭を満たしている薔薇の花は 香を含んだ露がおりて新鮮である。
雨が降ったあとのその紅の花の色は 去りゆく春を惜しんでいる。
風流人謝安の伝記は、今もなお残っている。
東山に隠棲していた謝安の姿に似て美しい。
謝安は東晋の政治家で宰相となりました。宰相になった時に、前秦の苻堅(ふ けん)が中国統一を目指して50万の兵で東晋を攻めた時に謝安は弟と甥に8万の兵を授け淝水の戦い(ひすいのたたかい)で前秦を破りました。この時、謝安は東晋の都の屋敷で客と碁を打っていたそうで、東晋軍大勝利の報告が届きましたが、客人が勝敗はと聞くと「小僧たちが賊を破った」と平静に碁の勝負を続けたそうです。客人帰るのを門前まで見送った後に謝安はそこで大喜びして跳ねまわったために履いていたゲタの歯を折ってしまったとの話が伝わっています。
武田信玄は東信州を制圧すると内山や碓井峠を越えて関東へ進攻しました。関東管領となった越後の上杉謙信と小田原の北条氏と三つ巴でした。関東の豪族達はその時の強い方に味方をしました。生き残るために身内を分ける事もありました。武田信玄は上杉謙信が越後から関東に出てくると決戦を避けて関東から引き上げました。上杉謙信が越後に帰ると北条氏が出てきました。