権現堂の紫陽花2 |
権現堂は桜堤として有名です。天正4年(1576年)頃に築かれたといわれています。しかし、権現堂堤はすべてが同時期に築堤されたのではなく、利根川や荒川の流れが一定していなかった時期から河川流路の締め切りやそれに伴う築堤により部分的に作られたと言われ、現在の権現堂堤になったとされています。かつては6kmにわたり約3000本の桜があったと言われ、大正時代から桜の名所として賑わっていました。現在は1Kmに桜が1000本植えられているそうです。権現堂川は暴れ河川としても恐れられ、宝永元年(1704年)に、はじめて権現堂堤が切れ、その後幾度も決壊をしてきました。その被害は遠く江戸にまでおよび、大江戸八百八町の半ばは水浸しになったと言われ江戸を守る堤として近隣の村々により大切に管理され続けてきました。江戸時代に日光街道と日光御成街道(日光街道の脇街道)の合流地点にあたる宿場町として栄えた町が現在の幸手市です。日光御成街道とは江戸の本郷追分で中山道と分岐して幸手まで至る街道で将軍家が日光へ参拝をするときに使われ江戸城大手門が出発点でした。幸手宿の北部に流れていたのが権現堂川で、河岸は明治時代まで物資輸送で賑わっていました。江戸時代および明治時代を通じて物流と人的交通は陸上交通よりも水運交通が中心でした。水上交通は鉄道交通に取って代わられるまで物流と人の流れの中心でした。権現堂川は利根川の支流として北関東の物資を江戸へ運び、京都や大阪の物資を江戸湾から北関東へもたらす重要な川の道でした。川の交通が盛んな時代は水深の浅い帆舟で、そして川の流れの強いところを遡上する場合は人力を使い綱で帆舟を川岸から引いて遡上しました。
古今和歌六帖からよみひとしらず
茜さす 昼はこちたし あぢさゐの
花のよひらに 逢ひ見てしがな
(意)昼間に逢うと人目がうるさく噂にも立ちやすいので宵に密やかに逢いたいものだ。
古今和歌六帖は10世紀後半に編集された和歌の手引書です。成立時期や撰者はともに不明です。ただしおおよその目安として、天禄から円融天皇の代の間(970年から984年の間)に成立したといわれており、撰者については紀貫之とも、また兼明親王とも具平親王ともいわれていますが、源順(みなもとのしたごう)が撰者であるという説も有力です。「よひら」は紫陽花の花の事で宵(よひ)にも通じます。「よひら」はガクアジサイの顎が4枚なので「四(よ)ひら」と呼びました。紫陽花はガクアジサイが日本本来の紫陽花の原種でした。昔の人はこの様な歌で意味が通じ合ったのでしょうね。頭が良くないと馬鹿にされたでしょう!私なんか「貴方なんか頭の悪い鈍感男、魅力も何もない人」と間違いなく言われてしまう事に間違いありません。やはり直球勝負はこの時代では馬鹿と思われていたのかも知れません。癖球を投げたり打たれたりだったのでしょう。
P.S.
☆奇妙な政府の「一問一答」
「国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るため」と言う政府の決まり文句は安倍政権の目指す軍国主義への道と私は感じ取ります。この言葉は決まり文句と言うより説明の必要がない事で当然な事ですが、どうも安倍の口から洩れると心がこもっていないと感じられます。「国の存立を全うし、国民の命と平和な暮らしを守るため」の言葉の後に、「日本は戦争が出来る国になったのだから、日本は世界から馬鹿にされないのだ。馬鹿にすると日本は怖いぞ!」との言葉が続きそうです。「美しい国、日本」と同じ様に虚ろに響くように感じます。安倍は反省などしない古い人種なのでしょう。
☆石破に反撃された安倍首相の狼狽
石破の考え方にも賛同できませんが、安倍の嘘で固められた安倍しか分からない集団的自衛権で日本がアメリカの戦争へ参戦する事だけは納得が出来ません。安倍の考え方は限定的な集団的自衛権です。そんなものはこの世界には存在していないのです。安倍の頭の中で存在しているだけなのです。
☆川内原発再稼働に規制委トップ「安全とは言えない」、政府も責任回避で自治体が反発 (2ページです)
原子力規制委員会委員長が「安全とは言えない」と言っているのです。それでも政府は安全と言い続けているのです。政府は政府の意のままに動かない原子力規制委員会の委員長を交代させれば事足りると考えているのでしょう。安倍政権は滅茶苦茶なのです。すべて最初に結論があるのです。議論も見解の相違で否定するのでしょう。
☆判断の大切さ 住宅地造成をしてきた料理店主の話
今後土地を購入する人は昔から住んでいる人や地元の建設会社の人に良く話を聞いてからにするべきです。
☆広島土砂災害:殺処分寸前だった救助犬「夢之丞」1人発見
お手柄でした。負け組の復活とも見えます。
☆中国の「外資たたき」は 新たな闘争の幕開け (6ページです)
☆キーワードは「新常態」!? 習近平が主導する日系企業叩きの本質とは (5ページです)
色々な見方がるでしょう。しかし中国へ進出している企業にとって非常に危険な状態になっているのは事実でしょう。言わば日本企業が中国に投資したものが人質に取られているとも言える事なのです。今後とも弱まる事は無くますます強まるでしょう。利益優先のつけでしょう。
☆「千年恨」に付き合ってはいられない「日韓関係悪化は韓国のせい」と野田前首相 (4ページです)
日本への恨みは無くならないでしょう。暫らくは放っておくしかないと思います。何を言っても聞く耳を持たないのですから。やはりアメリカも日米韓での東アジア防衛の考え方を改めるしかないと思います。
☆「中身」薄い日本株上昇、もろさに警戒感も
とても日本企業が本格的に回復しているとは見えません。やはり脆い感じがします。他力本願なのでしょう。
☆香川は古巣に出戻り? ディ・マリアのマンU入りで急浮上 (2ページです)
はやく決断をすべきです。旬の季節は早く過ぎ去ります。チームとして必要とされていないのです。万に一つを待っているより必要とされるチームに移るべきです。このままでは日本代表からも必要とされなくなります。いくら能力がっても試合に出られないのでは使い物にならなくなります。香川クラスはヨーロッパでは掃いて捨てるほどいるのです。
☆社説:学力テスト 「底上げ」を生かすには
私は競争は絶対に必要だと思っています。私は氏名を伏せての成績は完全公開すべきだと思っています。学校別の成績法表も行うべきだと思っています。私は高校受験しか経験がありませんが、中学は埼玉県で一番の受験校でした。成績は1年から3年の夏までは100名中で80番前後でした。9歳年上の長兄とほとんど同じ先生方で天才と言われた兄とことごとく比較され私は完全にサボタージュ状態でした。とにかく先生が授業中私を立たせてお前も出来るはずだと泣くんです。ますます勉強から遠ざかりました。しかし最後の半年間で変わりました。試験ごとに成績が鰻登りで最後は10番前後まで上がってきました。原因は家庭教師でした。それまでの家庭教師は一生懸命教えようとするのですが、私はどの様にして追い出すかしか考えてきませんでした。しかし最後の家庭教師は勉強を全く教えてくれないのです。半年ほどは外へ出てボート漕ぎをしたり、散歩をしたりして全く教える気が無い様でした。そろそろ心配になって勉強の事を私から言い出すと、その家庭教師は分からない事だけ聞きなさいと突っぱなされました。隣で小説を読んでばかりでしたが、質問をすると丁寧に教えてくれました。勉強とは面白いもので強制されては身に付きません。