ドイツ ミュンヘン |
いよいよ今回の中欧旅行の最終日です。5月30日に羽田を出発して、6月8日に羽田に帰ってきました。10日間の旅でした。とにかく忙しい旅で、このコースならば14日間は必要だと思いました。旅行に参加した人は19名でツアーガイド山を含めて20名でした。問題を起こす人もいませんでした。残念なのは移動のバスが古すぎてエアコンに問題があるバスだった事です。
ミュンヘンはマック・ヨゼフ広場からマリエン広場まで歩き自由行動となりました。ミュンヘンはドイツ連邦のバイエルン州の州都です。昼食は有名なビール会社「レーベンブロイ」の直営のビアレストランでソーセージの昼食でした。昼食後ミユヘン国際空港から羽田へ向けて出発をしました。往復ともルフトハンザのビジネスクラスでしたので半分横になりながらの空の旅でした。
長い間お付き合いいただきありがとうございました!
P.S.
☆ 4-6月GDP激減でピンチ 黒田日銀「追加緩和」秒読みか (2ページです)
大本営発表と大手マスコミのヨイショ記事とは違ってかなり深刻のようです。何とか耐えてもらわないと日本経済は大変な事になります。財務省は消費税を10%に何とでもするでしょう。最悪、安倍の首を切ってでもやりかねないです。国滅びて官僚残る!です。
☆週のはじめに考える 増税が壊す?アベノミクス
東京新聞の8月17日の社説です。正論です!
☆首相は「(財布と胃袋のでかい)中国は使ってナンボ」理解せず
大前研一氏は冷静な評論家です。安倍は外交の一番基本である「相手を刺激しないで相手の手の内を読む」と言う事が分かっていないのです。独善とも言えますし自己中でもあるのです。そんな態度に拍手喝采する無知な国民にも困ったものです。やはり大臣経験も官房長官だけで総理大臣になった事と、頭が悪く政治家の悪い家系に生まれて独善的になったのでしょう。日本を第2次世界大戦へ向けて道を付けてしまった戦前の外交官で政治家の松岡洋右(まつおかようすけ)も安倍と似ています。松岡は日本の国際連盟脱退、日独伊三国同盟の締結、日ソ中立条約の締結など第二次世界大戦前夜の日本外交の重要な局面に代表的な外交官ないしは外務大臣として関与しました。敗戦後、極東国際軍事裁判の公判中に病死しました。病死をしていなければ死刑だったでしょう。松岡洋右の妹は岸信介元首相と佐藤栄作元首相の叔父に嫁ぎました。作家の山田風太郎氏は著書「人間臨終図鑑」で「松岡は相手の手を全然見ずに、己の手ばかりを見ている麻雀打ちであった。彼はヤクマンを志してヤクマンに振り込んだ」と言っています。外交という「相手の手」をよく見なければならない行為に、「己の手ばかりを見ている」ようでは、政策は独善的になり、孤立してしまうのは当然の帰結でしょう。やはり安倍と似ています!反省するだけならば猿でもできるのです。しかし安倍一族は反省すらしないのです。日本はジャパン・ハンドラー(日本の政策に影響を与える米国の知日派官僚ら)を通じてアメリカの国益にかなう政策をくみ取り、日本として実行してきたのです。そして自民党の長期政権となったのです。一方でその屈辱的な国の在り方は正当化しないと国民の支持は得られません。安倍首相は勇ましい姿勢と日本国家賛美の姿勢を通し、実態を覆い隠し事実を見る事が出来ない国民を騙しているのです。
☆黒人青年射殺:暴力再燃、米ファーガソンに夜間外出禁止令
人種差別でしょうね。そして白人の警官も相手が黒人で拳銃を持っているかも知れないと思ってまず撃ってしまうのでしょう。平和な日本では考えられませんが、拳銃社会のアメリカでは警察官も命懸けです。むかし、アメリカの道路で夜間に乗っていた乗用車がパトカーに止められた事がありました。運転していたアメリカ人の知人に「ジッとして手を動かすな。動かすと撃たれる」と注意されました。警官は拳銃は抜いていませんでしたが腰の拳銃に手をかけてゆっくりと車に向かって近づいてきました。なんか怖かったです。
☆エボラ出血熱の治療薬が簡単にできない理由 少ない患者数、しかもアフリカ中心で製薬会社が開発に二の足 (3ページです)
シンガポールで一人、NYで一人エボラを疑われる患者が発見され隔離病棟に入っています。いずれも感染国に滞在したそうです。日本も危ないかも知れませんね。