軽井沢 雲場池 |
雲場池はホテル鹿島ノ森の敷地内に湧く御膳水を源とする小川をせき止めて誕生した池です。紅葉の季節は池や隣の私有地を流れる御膳水に紅葉が映って見事です。また夏もこの様に緑が綺麗に水面に映ります。旧軽井沢には川幅数十センチの小河川が多く流れています。そのほとんどが一級河川で利根川や荒川と同格の河川です。以前私の友人が旧軽井沢に別荘を持っていましたが、土地の地境の杭は三葉葵の徳川家の紋が入っている石杭でした。別荘の敷地の中に幅30センチ程の小川が流れていましたがその小川も一級河川でした。もともと旧軽井沢は明治大正時代の皇族や華族達の別荘地でした。一般の平民は近づく事も出来ない地域だったのでしょう。ですから小川も一級河川になるわけです。
明治に入ってから、富国強兵政策に基づく政府の招聘で来日した外国人講師達は、日本の蒸し暑い夏を避けるために避暑地探しに没頭しました。一部の外国人講師達が軽井沢という格好の地を見つけるのは明治の中期の事でした。避暑をするという概念は、日本にはほとんどありませんでした。その後日本在住の外国人は続々と軽井沢で夏を過ごすようになり、それに伴い日本の皇族や華族達も住むようになり徐々に現在の軽井沢の基礎になっていったのです。その中でもカナダ人は自分の国土が森と湖に満たされた土地だったため軽井沢では飽きたらず、他の場所を探していました。彼らの故郷のカナダは水に親しむ風土でした。そんな中で唐松などの針葉樹の森と野尻湖という湖に囲まれた故郷に似た土地を捜しだしたのです。多くの外国人達が賑わい始めた軽井沢から静かな野尻湖畔を夏の別荘地として住み始めました。野尻湖畔が軽井沢に次いで日本で2番目に別荘地として開かれ、国際村が出来たのが大正10年でした。
壬生忠見の家集「忠見集」から。
渡れども ぬるとはなしに 我が見つる
夢前川(ゆめさきがわ)を 誰にかたらむ
(意)渡っても濡れることなしに、寝たわけでもないのに見た夢のような夢前川。この不思議さを誰に語ろうか。
詞書に「播磨のゆめさき川をわたりて」と書かれています。夢前川は兵庫県内を流れる夢前川で、飾磨郡夢前町から姫路市西部を流れて瀬戸内海に注ぐ川です。夢前町は姫路市に合併となり町名は消滅しました。いい名前でしたね!
P.S.
☆<日本海津波予測>北海道自治体「想定以上」に驚き
にわかに信じられない数字です。日本海側で20m超の津波とは考え方を根底から覆す数字です。原発は大丈夫なのでしょうか?上越市で11.3mとはかなり内陸部まで入ってくる予想のようです。日本中を高い城塞の様な高い防潮堤で囲むなどと言う事は議論の埒外です。まさに「美しい国 日本」の危機です。
☆スクープ!政治も経済も大混乱 疑惑を報じた産経記者を検察が告発 韓国朴槿恵(大統領)は「密会男」に操られていた! (5ページです)
よほど朴大統領は神経質になっているのでしょう。元ネタの朝鮮日報の記事を口頭注意にして、産経新聞のソウル支局長を告発するとは間接的に個人のスキャンダルを追及するとこうなるとの見せしめなのでしょう。しかし朝鮮日報を告発するともっと大きな事件が出てくる可能性があるので反日を考えて産経新聞と言う事になったのでしょう。本当におかしな事件です。朴大統領のスキャンダルは朴政権の背後の闇を照らしてしまったのでしょう。中世イギリスのエリザベス女王1世は沢山の愛人を持っていました。しかしその愛人に操られることはありませんでした。最愛の愛人であったエセックス伯を反乱の罪で死刑にしました。
☆じつはQE(量的緩和)は前途多難!? (3ページです)
量的緩和に関してよく書かれています。是非読んで勉強をしてください。自分を守る事にもつながる勉強です。
☆進駐軍への媚びへつらいを日本は反省したか (4ページです)
本当に日本人は戦争を反省をしたのでしょうか?真の愛国心とは何でしょうか?
鬼畜米英・・・敗戦が濃厚になった昭和19年ごろ国民の間にもようやく厭戦(気分が出てきだしました。そこで政府は戦争継続体制維持のために米英に対する敵愾心を国民に喚起し、戦争に奮い立たせる方策の一環として、このようなスローガンを意図的に広めたのです。
欲しがりません勝つまでは・・・戦争の長期化と戦線での敗北による物資不足は日に日に深刻になっていきました。このスローガンは国民に我慢の耐乏生活を強いる合言葉になったのです。
その他に挙国一致、尽忠(じんちゅう=忠義を尽くすこと)報国、「堅忍(けんにん=じっと耐えること)持久(じきゅう=長く持ちこたえること)」、「進め一億火の玉だ」「屠(ほう)れ!米英我等の敵だ」、「欲しがりません勝つまでは」、「撃ちてし止まん」、「一億玉砕」、「神州不滅」・・・・・
戦争を始めて遂行してきた人達は、戦争が終われば何もなかったかのように占領軍にすり寄って行ったのです。反省などしていませんよ。安倍の祖父の岸信介などはその最たるもので、命をアメリカに救われたのでアメリカへの絶対服従を貫きました。戦争を起こした張本人の一人なのです。ちょうど第2次世界大戦が終わり次の時代はアメリカ&イギリス連合対ソ連の冷戦構造に入ってく事は確実でした。アメリカは意図的に日本の官僚機構を残したのです。戦争中日本国民を戦争へ駆り立てた張本人達は、自分たちが真の愛国者だと言っています。本当にそうだと思いますか?私には売国奴としか見えません!
☆【世界を斬る】中国の「不法侵入」に独自反撃できる戦力着々 自衛隊即応態勢 (2ページです)
日本には憲法改正の必要などありません。現行の平和憲法で専守防衛権はあるのです。日本の平和憲法は他国を侵すものではなく、日本が侵された時に自衛権として自衛隊が出動できるのです。自衛隊法では明確に治安出動と防衛出動が出来る事が明記されているのです。安倍の言っている事は大嘘なのです。安倍は他国へ出かけて戦争をしたいのです。もっと日本は世界に向けて特に中国に向けて日本の平和憲法の趣旨を説明すべきです。中国政府は分かっているはずですから中国国民へ向けてアナウスをすべきなのです。中国政府は意図的に日本の平和憲法を中国国民へ教えていないのです。理由は日本が侵略してくるとしておいた方が中国を統治し易いからです。その前に安倍を政権の座から引きずりおろさないと日本が戦争へ巻き込まれてしまいます。安倍は単純馬鹿ですから祖父の岸信介のような複雑な考え方はないでしょう。岸は戦争を始める前はアメリカとどこかで手打ちが出来ると甘く考えていた節があります。戦争を始めた多くの日本の政治家が同じように甘い考えだったのです。その甘い考えが数百万人の死者を生んだのです。
☆デング熱 70年ぶり国内で感染確認
さいたま市ですか。どうも気味が悪いですね!日本も40度近い気温が続いていました。熱帯ですね!昨夜はアースを使いました。暫らく付けっ放しにするつもりです。
☆「国内原発全て廃炉に」渡部恒三氏訴え
渡部恒三氏は引退をした今でも福島県政界に影響力を持っています。・・・福島の原発が半世紀近く京浜工業地帯のエネルギーを支えてきた事実を忘れてはいけない。だが、原発はもう駄目だ。全て廃止すべきだ。原発が稼働していない今も電気は足りている・・・これを安倍は見解の相違と言うのでしょう!
☆安倍政権直撃…台風・ゲリラ豪雨で7-9月GDPも絶望的 (3ページです)
鉱工業生産指数で在庫が積み上がり始めたのは危険信号です。一昨夜は横浜の割合に有名な店へ行ったのですが客は私達のグループだけでした。給料日の翌日だったのですがやはり景気はオカシイですね。店主もどこにアベノミクスは行ったのでしょうねとぼやいていました。お盆休みも大型台風に直撃されて私の住むさいたま市内の本屋さんが大混雑でした。行楽地は売り上げが予定と違ったでしょうね。
☆パチンコ業界と警察
☆パチンコと警察の関係は? POKKA吉田さんに聞く
☆警察庁「パチンコで換金?!?!?!?!?」 まったく存じ上げていなかったことが判明wwwwwwww
☆パチンコ業界と警察の癒着
☆パチンコを保護しているのは警察生活安全課! パチンコ
皆さんは分からないかも知れませんがこの手の記事を書く事は警察から徹底マークをされるのです。警察にとって最優良天下り先なのです。各県に一つ警察の優良天下り先としてパチンコ関連の受け皿があるのです。パチンコ業界と警察で作った組織です。つまり公然と博打を警察の認可で行うのです。この様な事を書くのは大変に勇気のいる事なのです。
議連はパチンコの客の換金額に1%をかけて年2千億円の税収を計算をしているのです。どこまで本気かは分かりませんが出来るはずがありません。しかし1960年代に大阪で始まったとされるパチンコの換金は客が出玉と交換したたばこやお菓子を暴力団員が現金化していました。この交換業務は戦争遺族に任せ、暴力団排除と戦争遺族の雇用確保を両立する公益事業という側面が強かったのです。以後、警察庁は「直ちに違法ではない」として黙認してきました。しかし、どんな理屈をつけても、換金するなら賭博とみなすのが普通なのです。現在は各県に警察とパチンコ業界との天下り機関があります。それは暴力団排除をうたいながら「赤信号、みんなで渡れば恐くない」なのです。つまり全員が癒着しているのです。最近の暴力団の覚醒剤等の取り締まりも不思議な事が多いですね。みんな同じ図式かも知れません。これ以上は危険ですので!そもそもパチンコ業界・警察・政治家は癒着の三角関係なのです。
特に最後の2つのYouTubeは是非見て下さい。これは本当の事です。
旧軽井沢では30センチ幅の小川も1級河川でしたか。知りませんでし
た。写真の小川もそうで、管理は国や県なんでしょう。私達とは縁の遠
い特権階級でしたね。
軽井沢はやはり特別な地域だったのでしょうね。
気軽に行けることや軽井沢の雰囲気を味わいたいのでほぼ毎年のように紅葉シーズンにでかけています
軽井沢の雲場池の紅葉は見事ですね。しかしなかなかジャストタイミングでは行けていません。