奥日光 山王峠の紅葉 |
山王林道は現在は奥鬼怒スーパー林道と呼ばれ奥日光の光徳から群馬県片品村までを結ぶ林道で現在は栃木県側だけ供用されています。終戦後の日本では大規模災害が頻発し特にカスリーン台風などの大型台風の襲来により、1960年代に栃木県栗山村(当時)の奥地では山腹崩壊が拡大し土砂流出が顕著となったため大規模な土木工事が行われました。その土木工事の取り付け道路として引かれた道路が日光側から栗山村へ抜ける山王林道です。現在は奥日光の紅葉シーズンでのいろは坂が混雑で身動きが取れないときはこの林道が抜け道として活躍します。昔はほとんどが悪路と言うより川底のような道路でしたが今はほとんど舗装されています。栗山村の奥地では川俣温泉をはじめとした奥鬼怒温泉郷は奥鬼怒温泉郷の開発が活発化し、1970年に更なる観光開発を意図して山王林道を延長して群馬県側に抜ける林道計画が持ち上がったのです。しかし、地元の群馬県自然保護連盟は、林道の存在が自然環境を破壊しかねないとして反発。完成後の管理を担う地元市町村をも巻き込んだ議論を経て、群馬県側大清水から栃木県側八丁の湯間の16.2kmについては、林道の建設目的に観光は含めないことで開通する取り決めがなされたのです。このため、林道自体は1993年に開通はしたものの、現在も県境付近は一般車両の通行止めが続いている(地元住民、土地所有者以外の通行には地元市町村長の許可が必要)のです。
曾禰好忠(そねのよしただ)の家集「好忠集」より
何もせで 若きたのみに へしほどに
身はいたづらに 老いにけらしも
(意)何をすることもなく、若さばかりを頼んで年月を経るうちに、我が身は空しく年老いてしまった。
曾禰好忠の生年は延長初年頃(923年頃)と言われています。父祖は不詳。「新撰姓氏録」によれば曾禰連(むらじ)は石上氏と同祖で物部氏の裔です。身分は低かった様で名家で行われた歌合わせでは同席は許されなかったと言われています。
だんだん、下に降りて来ますね。
紅葉・黄葉のシーズンですが昔のような色合いと違う様な秋の到来で
す。目に迫るような艶やかな秋を見つけようとするのですがなかなか会
津もいまいちで、今の政治を表しているような・・。
秋は忙しいです。会社の決算期を少しずらそうかとも思っています!
紅葉もかなり下がってきているでしょうね。
山王峠の紅葉は例年は赤い色が綺麗なのですが、今年は茶色っぽく見えます。
この道は割合空いていて抜け道ですね。むかしは川底の様な道路でした。いまは完全舗装となって走り易くなりました。