奥日光 半月峠の紅葉 |
9月28日の奥日光の半月峠です。下に見える谷は足尾です。明治時代の足尾鉱毒事件の舞台となった銅山です。古河財閥の基礎を作ったとも言われている銅山で、足尾銅山からの鉱毒で利根川流域の河川が汚染され農産物は大被害を受けました。そのために渡良瀬遊水地を作り、鉱毒を沈殿させました。カメラはニコンD800と70-200mm&2Xテレコンです。
栃木県日光市足尾地区では江戸時代から銅が採掘されていましたが江戸時代前期をピークとして産出量はいったん低下し、幕末にはほとんど廃山の状態となって国有化されました。明治維新後に民間に払い下げられ、明治10年(1877年)に古河市兵衛の古河財閥の所有となりました。古河市兵衛は採鉱事業の近代化を進め、1885年までに大鉱脈が発見されました。さらに西欧の近代鉱山技術を導入した結果、足尾銅山は日本最大の鉱山となり、年間生産量数千トンをかぞえる東アジアNo.1の銅の産地となりました。当時の銅は日本の主要輸出品のひとつであり、全国の産出量の1/4は足尾銅山が占めていました。しかし精錬時の燃料による排煙や、精製時に発生する鉱毒ガス(主成分は二酸化硫黄)そして排水に含まれる鉱毒(主成分は銅イオンなどの金属イオン)は、付近の環境に多大な被害をもたらすこととなりました。鉱毒ガスやそれによる酸性雨により足尾町(当時)近辺の山は禿山となりました。木を失い土壌を喪失した土地は次々と崩れていき、この崩壊は21世紀となった現在も続いています。崩れた土砂は渡良瀬川を流れ、下流で堆積しました。渡良瀬川から取水する田園や、洪水後、足尾から流れた土砂が堆積した田園で、稲が立ち枯れるという被害が続出したのです。これに怒った農民らが数度にわたり蜂起し、衆議院議員の田中正造はこのときの農民運動の中心人物として地元では恩人と呼ばれました。
田中正造は衆議院議員を辞職後、明治34年12月10日に第16議会開院式から帰る途中の明治天皇に、鉱毒事件の解決を訴えるための直訴を決行しましたが、警護の警官に取り押さえられ警察に保護されましたが気がふれたとされて釈放されました。明治天皇への直訴状は当時新聞記者だった幸徳秋水(明治43年1月24日大逆事件に連座したとされ死刑)が執筆し田中正造が加筆しました。その直訴状には・・・「天に訴え地に訴え人に訴え社会に訴え政府に訴え法廷に訴え、請願となり陳情となり演説となり奔走となり運動となり大挙となり、拘引となり被告となり、絶叫となり慟哭となり泣血となり、千訴万頼慟天哭地してもなお、その目的を達成することができない鉱毒被害民の惨状を救うため、財産を棄て名誉を棄て妻子を棄て朋友を棄て政党を棄て議員を棄て、遂には己を棄てて一身を鉱毒事件の犠牲に供したる田中正造は、昨日ついに恐れ多くも議院より遷幸の御通路に拝跪して輦下に直訴するの非常手段をとるに至れり」・・・と書かれていました。
この田中正造の義挙を聞いた盛岡中学の学生だった石川啄木は次の短歌を詠いました
夕川に 葦は枯れたり 血にまどふ 民の叫びの など悲しきや
陸奥宗光は伊藤博文第2次内閣で外務大臣となり幕末に江戸幕府と諸外国との間で結ばれた不平等条約の改正に活躍しました。しかし外務大臣の前に山縣有朋内閣で農商務大臣を務めた時に古河財閥の足尾銅山鉱毒事件が起き、衆議院議員の田中正造の質問主意書で追及を受けましたが質問の意味が分からないと回答しました。この時、陸奥宗光の次男潤吉は古河財閥の当主古河市兵衛の養子となり後に2代目となりました。ちなみに古河財閥の3代目は初代古河市兵衛の長男の古河虎之助でした。何か胡散臭い話ですね!この頃から足尾銅山の鉱毒事件は広く知られる様になり、渡良瀬川の下流である利根川流域だけにはとどまらず、江戸川を経由し行徳方面そして利根川を経由し霞ヶ浦方面まで拡大しました。田畑への被害は、特に1890年8月と1896年7月21日、8月17日、9月8日の3度の大洪水で顕著となりの農村部への大被害を生み日本の鉱毒事件の始まりとなりました。その鉱毒の害が利根川流域へ広がるのを防ぐために渡良瀬川下流域の渡良瀬に広大な渡良瀬遊水地を政府が設け鉱毒を沈殿濾過する事にしたのです。
渡良瀬遊水地が設けられた時から現代まで政府は一貫して鉱毒の処理のためとは一言も謳っていません。あくまでも渡良瀬川・思川・巴波川(うずまがわ)の治水対策として渡良瀬遊水地を設けたとしています。ここに大きなゴマカシがあるのです。昔から官僚の仕事はこんなものなのです。本当の目的である鉱毒の処理とすると古河財閥の犯罪行為となり賠償問題となるのです。利益は企業に、損害は政府にの図式がここから始まったのかもしれません。本来はこの鉱毒事件で古河財閥は巨額の鉱毒事件の賠償や鉱毒の処理をしないといけないはずなのですが、多くは政府が肩代わりして国費で賄ったのが多いのです。明らかな政府要人と政商の癒着です。この様にして古河財閥に限らず明治維新後の三井・三菱・住友など多くの財閥が太って来たのです。江戸時代の為政者は子供のころから論語を学び、責任は切腹でとるとの葉隠れ思想が武士の理屈でしたので、このような癒着はほとんどありませんでした。もっとも小説の上では悪代官ははびこっていましたが、それは現代の裏返しでアンチテーゼの様なものです。明治以降現代まで日本の政治権力者と政商の癒着によって社会が運営されてきたと言っても過言ではないでしょう。それが日本を多くの失敗、つまり戦争へと導いてきたのかもしれません。
政商は軍需産業も財閥の基盤の一つとしていました。例えば三菱財閥も土佐藩出身の岩崎弥太郎が土佐藩の長崎留守居役に抜擢されたのが始まりです。そして廃藩置県後に後藤象二郎の肝煎りで土佐藩の負債を肩代わりする条件で三菱商会を作り船2隻を入手し海運業を始めたのです。それが現在の日本郵船です。最初に弥太郎が巨利を得るのは、維新政府が樹立されて紙幣貨幣全国統一化に乗り出した時のことで、各藩が発行していた藩札を新政府が買い上げることを事前に察知した弥太郎は、10万両の資金を都合して紙屑同然となった藩札を大量に安く買占め、それを新政府に買い取らせて莫大な利益を得たのです。この情報を流したのは新政府の高官となっていた後藤象二郎です。今でいうインサイダー取引でした。岩崎弥太郎は明治7年(1874年)の台湾出兵に際して三菱商会として軍事輸送を引き受け、政府の信任を得ました。明治10年(1877年)の西南戦争でも、輸送業務を独占して大きな利益を上げました。政府の仕事を受注することで大きく発展を遂げた弥太郎は「国あっての三菱」という表現をよく使いました。しかし、海運を独占し政商として膨張する三菱に対して世論の批判が持ち上がり、農商務卿西郷従道が「三菱の暴富は国賊なり」と非難すると、弥太郎は「三菱が国賊だと言うならば三菱の船を全て焼き払ってもよいが、それでも政府は大丈夫なのか」と反論しました。
同じように三井財閥も幕末の混乱期に幕府による豪商への御用金を勘定奉行だった小栗上野介の元中間で小栗上野介の信任の厚かった三野村利左衛門を使う事で三井に対する御用金をご破算にして、かつ「江戸勘定所貸付金御用」と言う宝の山を貰う事に成功をしました。番頭に取り上げられた三野村利左衛門は明治維新後に長州の要人に接近し井上馨と組んで新政府の税収や公金の取り扱いの代行を引き受けました。のちには三野村利左衛門は大番頭に引き上げられると三井銀行の設立や三井越後屋(三越)を分離し三井財閥の発展に大きな功績を残しました。三菱財閥の総帥岩崎弥太郎が江東区の清澄の久世大和守の下屋敷跡に従業員の慰安と取引先の接待所として深川親睦園(現在の清澄庭園と清澄公園)を作ると、その道路を挟んだ反対側にほとんど同じ面積で三野村利左衛門は三井本家から土地を貰い大きな庭園を作りました。現在は三野村家の会社ビルが清澄に小さく残されているだけですが建物が古いビルなのでTVドラマ等で度々使われています。
明治30年(1897年)当時の農商務省により足尾に植林が命じられ、以後、現在に至るまで治山事業が続けられています。徐々に緑を取り戻しつつありますがまだまだ時間が必要とされています。
P.S.
☆監視カメラ3分の1故障 もんじゅ、1年半放置も
こんな事って良いのですか?日本の原子力行政はこんな程度なのです。福島第一原発事故もまだ危機の入り口なのに、いまだに原子力は安全神話の中にいるようです。
☆補償「5割」に不満噴出 福島・中間貯蔵
政府に騙されてきたのです。騙すほうが悪いのか騙される方が悪いのか?地元住民は騙されてきたのですが、いままで受けてきた原発誘致のメリットは大きかったはずです。原発事故で土地の価値は0です。0の物を5割で国が計算するのだから喜べと言う事なのでしょう。騙し騙された両方とも言い分は筋が通っています。政府は10割出すから他県の福島第一原発由来の放射性廃棄物も受け入れて欲しいと言ってみればいいのでしょう。30年経てば必ず他の場所に移すことを日本政府は確約すると吐き慣れた嘘を繰り返せばいいのです。最終的に福島県内に最終処分施設を作る事になります。福島県も他県の物を高額な管理料を取って受け入れればいいのです。政府としてはロシアと交渉してシベリアの永久凍土の中に最終処分施設を作るしか無くなるでしょう。数万年に渡る賃借料金は天文学的な数字になるでしょう。日本国家が続く限り、コストは国民の電気料金に上乗せさせられるのです。原発の発電コストは天文学的な高値なのです。とにかく滅茶苦茶な原子力政策でした。発電が既得権益である限り自民党政権下では現在のシステムを止める事は出来ないのです。既得権益擁護の体質なのです。だからアベノミクスは失敗したのです。
☆介護報酬の減額主張 財務省「社福に内部留保」 事業者側は猛反発
☆(報われぬ国 負担増の先に)介護現場の待遇 薄給、耐えられない
元気なうちは関係ないと思っているでしょうが、いずれほとんどの国民が最後はこの様な施設で世話にならないといけないのです。もっと真剣に考えるべきなのでしょう。社会福祉団体が内部留保に走るかと言うと政府が信用できないからです。政府は朝三暮四なのです。くるくると方針を変えるのです。政府と言うよりも財務省と厚生労働省の役人なのです。企業が内部留保を貯め込んでいるのと同じです。政府を信用していないのです。私は早く自分の意思で決められる安楽死を認めて欲しいです。それが一番でしょう。
☆前那覇市長・翁長雄志氏が語る「沖縄知事選」出馬への覚悟 (7ページです)
本当に安倍政権の考えている事は日本のためにならないと思います。
☆銀座で2件目のお菓子屋さん閉店
銀座も酷い様です。どこもかしこもアベノミクスは影もないのです。下町もどの飲食店も人が少ないです。日本はどうなるのでしょうね?消費税が間違い無く10%になります。今回は駆け込み需要よりも駆け込み引き締めとなるでしょう。日本の疫病神となってしまった安倍です!
☆大前研一氏に「万策尽きた」と酷評された安倍首相は反論できるか
間違いなく安倍は万策尽きました。そして日本経済を滅茶苦茶にして日本を戦争出来る国に変えました。不景気になったり国民から支持を失った時に他国へ戦争を仕掛けるのが常道です。頭の悪い単細胞は危ない危ない!
世の中は なにか常なる あすか川 きのふの淵ぞ けふは瀬になる
(意)世の中には不変のものなどあろうか。飛鳥川も、昨日淵だったところが今日は瀬になっているのだ。
☆低所得者の消費行動を調査 その共通点とは?
何となく納得できる記事ですね!
☆安倍政権1年の足跡を検証する(前)
☆安倍政権1年の足跡を検証する(中)
☆安倍政権1年の足跡を検証する(後)
少し古い記事ですが(後)に安倍と統一教会との関係が書かれています。山谷大臣と統一教会の関係はボスの安倍が統一教会とぴったりなのですから当然なのです。お仲間を集めた内閣ですから!
☆【韓国に問う】振り上げた拳下ろせない朴政権…「国際的な威信が失墜」呉善花・拓殖大教授 (2ページです)
日本の右翼新聞を叩くつもりだったのでしょうが、逆効果でした。
また奥日光へ行かれたのですね~
画像いつもながら楽しく拝見しました
7日の方が色はきれいですね
やっぱり赤がきれいでないと映えません
10日は残念でした
刻々と移ろうから季節の楽しみがあるとは言えよく行かれるんですね
年に一度だと当たり外れが厳しいです
今度は唐沢山?太平山?
どこかでばったり! を期待しているんですが(*^_^*)
そうはうまくはいきませんネ
ついていけないような (^^ゞ
こうやって紅葉を拝見してると早く撮りたくなりますが
こちらはまだまだ先のようですね(苦笑)
一足お先に綺麗な紅葉を見せて頂けて良かったですね♪
唐沢山も太平山も両方とも紅葉を撮りに行くつもりです。今年の秋は色が悪いかも知れませんね!
これから里山の紅葉になります。山の紅葉は今年は台風で滅茶苦茶の様です。
埼玉県は被害がほとんど無かった様です。しかし山はかなりダメージをうけているでしょうね。