那須町芦野(あしの) 堂の下の岩観音と西行の遊行柳 |
芦野は那須一族の蘆野(芦野)氏の本拠だったところで芦野城と芦野宿がありました。鎌倉時代から幕末まで那須一族の芦野氏の本拠でした。江戸時代になり交代寄合として3000石で大名扱いされる旗本で、領地でに住む事が許されて、参勤交代が出来る家柄でした。現在は城跡が残されていて春の桜の季節は見事な桜となりますが、この日はすでに桜は見頃をはるかに過ぎていました。数キロ北に行くと「境の明神」があり東北に入ります。東北の南端の白河まですぐです。境の明神は下野国(栃木県)側は玉津島神社で、陸奥国(福島県)側は住吉神社と2つの神社が国境を挟んで並立しています。
那須一族は縁戚同士で長らく激しく争った一族です。先祖に源平の合戦で名高い那須与一がいます。もともとは那須国の国造家です。室町時代から戦国時代にかけて主家の那須氏を中心に一族の蘆野(芦野)氏・伊王野氏・千本氏・福原氏と那須氏の重臣の大関氏・大田原氏の事を那須七騎と言いました。豊臣秀吉の小田原攻めに本家の那須氏が参陣しなかったために那須家は取潰されました。その後、関ヶ原の前夜の時に会津の上杉景勝と常陸の佐竹義宣に対する抑えとして最前戦の大関高増の主城の黒羽城を中心に那須衆と徳川家の旗本が防衛に当たりました。大田原城には後詰めの城として那須衆からの人質として、そして当主が戦死した時は家督を継がせるための人質が籠り、徳川家からの援軍が守りました。那須七騎は一族を上げて背水の陣で徳川方に付いたのです。上杉景勝は反徳川の旗幟を鮮明にしていましたが 佐竹氏は親子で意見が分かれ、父親の佐竹義重は徳川に付く事を主張し、家督を継いだ息子の佐竹義宣は石田側に付く事を主張して対立をしていて動けない状態でした。那須七騎の武将として有名な大関高増は大田原氏出身で大関増次が大田原資清との争いで滅びたために大田原資清の息子の高増を大関氏の跡継ぎに送り込みました。それ以来、大田原氏と大関氏は連携して徳川幕府の大名となり幕末まで大名として続きました。後に那須家も名門ゆえに徳川家康により旗本として召し出されました。旗本の中の那須一門は那須衆と呼ばれ交代寄合として旗本でも領地に陣屋を持ち参勤交代を許されていました。なお、那須衆のうち伊王野家と千本家は江戸初期に跡継ぎがなく断絶しましたので那須衆は大名となった大田原家の分家である旧烏山町森田に領地があった大田原家の四家となりました。
旗本には2種類ありました。例外が多いですが原則として3000石で線引きされ、3000石以上は旗本交代寄合とされ老中支配で原則として役職には就かない事が決まりでした。交代寄合旗本は特別の由緒がある地方の大豪族の末裔や大名家の分家、改易された大名家の名跡を継ぐものなどで3000石以下でも交代寄合になれ領地に陣屋を構える事が許されていました。領地は先祖伝来の土地や先祖が昔に治めていた土地が多かったようです。大名と同じで参勤交代は出来ましたが義務ではありませんでした。江戸城内の伺候席(しこうせき)は大名と同格で一般の旗本とは明確に区別されていました。伺候席とは江戸城内での控えの部屋の事で家格や役職や官位によって部屋が決まっていました。小禄で交代寄合旗本になったのに松平郷松平家(松平太郎左衛門家)があります。徳川家康の先祖の発祥の家で250石でした。後に加増され440石になりました。領地の三河国松平郷に陣屋を持ち参勤交代出来る家柄で江戸城内では250石でも大名格でした。250石で大名格となると付き合いのお金が大変だったと思います。そして普通の旗本は寄合旗本と呼ばれ若年寄支配で江戸定府が義務付けられていました。
堂の下の岩観音: 観音堂や岩肌、そしてその周辺の植物たちが信仰的な雰囲気をかもしだしていて、自然景観を作りだしています。桜の時期には、樹齢300年以上といわれるエドヒガンやソメイヨシノ、ヤマザクラなどの巨木がライトアップされ、多くの観光客や写真愛好家で賑わいます。
遊行柳: 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての漂泊の大歌人だった西行ゆかりの柳です。西行は平泉の大豪族だった藤原秀衡を2度訪ねています。西行と藤原秀衡は同族で祖先はオオムカデ退治で有名な藤原秀郷でした。西行は僧籍に入る前は都に居る天皇を譲位した院の身辺を守る北面の武士の佐藤義清でした。東大寺再建をめざす重源より砂金勧進を依頼されて、2度目の陸奥への大旅行をして東北の雄だった藤原秀衡に砂金の勧進を願うために訪れました。その途中で鎌倉に居た将軍源頼朝に逢い一晩を文武の話を語り尽くしたと言われています。特に佐藤家は馬術で有名な一族でした。藤原秀衡は奈良の大仏のための砂金を直ちに鎌倉の源頼朝に届けました。遊行柳は西行が陸奥の藤原秀衡を訪ねた時に、間違いなく通った道ですが1度目なのか2度目なのかは分かりません。下から2枚目は遊行柳から芦野城跡を見あげました。芦野城跡の桜が満開となると付近の桜も満開となり、素晴らしい景色なのですが数日遅すぎました。
新古今集より西行のうた
道の辺に 清水ながるる 柳蔭
しばしとてこそ 立ちとまりつれ
(意)道のほとりに清水が流れる柳の木蔭に、ほんのしばらくのつもりで立ち止まったのだった。
よられつる 野もせの草の かげろひて
涼しくくもる 夕立の空
(意)もつれ合った野一面の草がふと陰って、見れば涼しげに曇っている夕立の空よ。
西行は、花、とりわけ桜を愛したことから、室町の初め、西行の庵にある老木の桜を題材に謡曲「西行桜」が世阿弥によって作られました。室町後期になって、観世信光は、西行が那須・芦野で詠んだ上の歌の柳を主題にして、謡曲「遊行柳」を創作しました。江戸時代に松尾芭蕉は、西行ゆかりの遊行柳に心を寄せ、元禄2年(1689年)に那須岳の殺生石を見物したあとで遊行柳に立ち寄りました。「おくのほそ道」には、あこがれの遊行柳の地に立った感慨が、芦野民部資俊の誘い話に続けて、「今日此柳のかげにこそ立より侍つれ」と記されています。
「清水ながるゝの柳は蘆野の里にありて田の畔に残る。此所の郡守戸部某の此柳みせばやなど、折ゝにの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此柳のかげにこそ立より侍つれ。
田一枚 植て立去る 柳かな」
との句を「奥の細道」に残しています。芦野の地は那須氏の一族だった那須衆(なすしゅう)の芦野氏の本拠でした。那須衆は、戦国時代から同族間で争いの絶えない一族でしたが、江戸時代に交代寄合として、幕府に仕えた旗本のうち、那須氏(下野国福原1000石)・福原氏(下野国佐久山3500石)・蘆野氏(下野国芦野3016石)・大田原氏(下野国森田1300石)の四家を指します。当初は那須氏と一族の福原氏、芦野氏、千本氏、伊王野氏に大田原・大関氏を加えた七氏からなり、小田原征伐に参陣しなかったために本家の那須氏は所領没収されましたが後に旗本に復活しました。他の6氏は本領安堵・加増を受けています。徳川家に仕えたのは割合新しいのですが、関ヶ原の戦いの時に北那須の最大の城だった大関氏の黒羽城を中心に上杉景勝の南下を防ぐために防備を固め人質を徳川家康に出しました。それぞれの城には徳川家から譜代大名や旗本達が援軍として本丸に入り防備を固めました。江戸期の那須衆は伊王野氏が無嗣断絶となったほかは、大田原の本家と大関氏は旗本ではなく大名となっています。
P.S.
☆福島原発2号機:ベント時、配管途中の安全装置が作動せず
いまだに福島第一原発事故は良く分からないところが多いのです。そもそも事故の原因の電源喪失は地震だったのか津波だったのか究明されず、政府が勝手に津波説で決着させたようなものです。蓋をしようとしているとしか思えません。事故原因を徹底的に究明してこそ原発再稼働の議論になるはずです。
☆新築4カ月連続前年比割れ…不動産バブル「崩壊」衝撃データ (2ページです)
不動産バブルはオリンピックの1年前の2019年まで続くと一般的に言われてきましたが、2018年までだと私は思っていました。しかし最近は色々な資料からもっと早くバブルは終わると思うようになっています。株と不動産は簡単にバブルが起きるのです。日銀が1万円札を刷り続けているのです。ある程度は続くのですが、必ず限界が来ます。私の家の周りも今年になってプレハブのアパートが増えてきています。原因は相続税対策と節税です。そして浦和区と名前の付く場所はいまだにマンションブームです。建設中や計画中が目白押しです。誰が買うのでしょう?しかし人口は減っているのです。間違いなく供給過多です。それでも政府は不動産投資をするように政策的に導いています。とてもまともなやり方ではないと思います。株も不動産も業者はババを引かないように必死です。前回のバブル崩壊の時はほとんどの日本人はバブルがはじけるとは想像もしていませんでした。私もそう思っていました。今回のバブルは前回のバブル体験者がまだ多く生きているので、体験的に頭の中に刷り込まれているので心配をしているのです。今回の近い将来に来ると言われているバブル崩壊は世界がグローバル化をしているので日本だけの現象ではなく中国やアメリカそしてEUやロシアの一角が崩れれば世界中がバブル崩壊に直面をする事になるでしょう。ドイツや北欧などの健全財政派は身の丈に合った財政金融政策をとっています。一方日本やアメリカそしてEUの多くの国々は国債を大量発行して借金漬けとなっています。特に日本は危険な数字となっています。日本の赤字国債のホールダー(所有者)がほとんどが日本の機関投資家だから安全と言われています。本当にそれを信じますか?ドイツ等が主張している金融の安全性に関するバーゼル条約の改革となると自国国債は安全が大きく揺らぎ、自国国債も一定割合は危険資産と見なされる事になり、日本国債を保有している日本の金融機関は国債を売却しないといけなくなります。金融機関が日本国債を売却をするとマーケットはどうなるかは明らかです。まさに日本政府は出口のない財政金融政策を取っていて、後戻りが出来ない綱渡り状態なのです。
☆実質賃金 最大の3.0%減 消費増税で物価上昇
☆GDP:年率2.4%増…設備投資プラス 1〜3月期 (2ページです)
自質賃金は厚生労働省の発表です。GDPは内閣府の発表です。時間のずれはあるのですが、内容的には正反対とも言える数値です。とにかく消費を増やさなければ景気は絶対に回復をしません。大企業の内部留保に遡って税金をかけるべきです。日本の大企業の多くはグローバル化をしています。もう日本企業とも言えないのでしょう。そんな企業のために特権的な減税や消費税を戻す必要はありません。時代が大きく変わっているのです。新しい発想の経済政策が求められているのでしょうが、いまだに現れていません。この2つの全く正反対の数字に関してはTVニュースでは内閣府の数字だけ報じています。ラジオでは両方を公平にニュースで扱っています。2.4%増のGDPのうち0.5%は在庫が増えたためです。この在庫が曲者で、売れないから在庫が増えたのか、景気の先行きを見ての在庫の増加なのかが分からないのです。見方によっては正反対となります。景気の先行きを見ての在庫の増加ならば良いのですが!
☆高齢者に牙をむく!「子どもの貧困」の実態 先鋭化する特殊詐欺の風景 (3ページです)
子供の貧困がオレオレ詐欺の原点だとは!
☆安倍官邸と密約? 橋下徹市長「民間大臣」として入閣プラン (2ページです)
十分に考えられますね。二人とも体質が似ているのです。異論を排除するやり方はそっくりです。大阪府も大阪市もこのままでは財政破綻をするでしょう。大阪都構想は財政破綻を睨んでの考え方だったのでしょう。しかし橋下流の異論を排除するやり方では纏まる話もまとまりません。賛成派・反対派両派とも同じ事を考えていたと思います。「小異を捨てて大同に就く」考えが必要でしょう。そのためには橋下流の異論排除ではなく市民の生活を守るための財政健全化をどうしたらできるかを話し合うべきです。財政破綻は市民生活を直撃します。財政破綻をするとどうなるか、北海道の夕張市長の発言が日経新聞に載っていました。
「財政破綻」は実際にどういうことなのか 夕張市長 鈴木直道(1)
大きいから潰れないと考えるのは間違いです。東京の一極集中を避けるためにも関西の中心として大阪に頑張ってもらわないといけないのです。
☆沖縄・翁長知事「絶対基地はつくらせないと米に伝える」 訪米前に会見
当然、翁沖縄県知事がアメリカで政権中枢と会えないように安倍政権はあらゆる手段を尽くすでしょう。その中で翁知事がアメリカで誰と会えるかでしょうね。今回の外国特派員協会の外国人記者たちは改めて沖縄の現状を翁知事から直接聞いてビックリしたと言われています。特に翁知事の「沖縄は今日まで自ら基地を提供したことは一度もない。(土地を強制収用される)『銃剣とブルドーザー』でとられた」と強調し、そのうえで、「県民に大きな苦しみを与えておいて、普天間飛行場が老朽化したから、危険だから辺野古だというのは、日本の安全保障をどう考えているのか?」の発言には大きく驚かされ、日本政府の発表との違いに改めて気付かされたと言われています。当然、今回の翁知事の記者会見のニュースはアメリカへそのまま流れているはずです。安倍政権にとっても神経をピリピリさせているはずです。
4年程前に、この岩観音と遊行柳を見に行って来ました。
生憎の天気でしたが、静かな良い場所ですね。
岩観音の大きさが、側に立つと良く判ります。
桜の季節が過ぎてから行きましたので、誰も居なかったです。
遊行柳、から線さん宅傍に有る神社近くに似た様な雰囲気が有ります。
今日は、快晴ですので何処かに行くのも良いですね。
この辺りは静かな地域ですね。芦野はむかしは国の境にあった宿場町だったので賑わっていたのだと思います。
今朝の雷にはビックリしました。2時間ぐらいだったでしょうか?今朝は北風が寒くてびっくりしました。
今日は会社の決算の準備で大忙しです。天気が良いのでもったいない日ですね!