志賀高原 蓮池の紅葉 |
蓮池は志賀高原の中心に位置しており、湖畔のバスターミナルは熊の湯・横手山方面と、発哺・奥志賀方面の分岐点となっています。冬になると志賀高原のスキー場の中心地となります。高山性高原の志賀高原は10月の始め頃にはナナカマド、ダケカンバ、カエデ、ミズナラ、ヤマウルシなどの広葉樹が色付き始め、中旬頃にはすばらしい錦絵のごときの紅葉風景が見られ素晴らしい高原です。大小70近くある池や沼を巡るハイキングなど、高原での紅葉観光は日本の自然の美しさを堪能する事が出来ます。今年は日本全国共通ですが紅葉が例年より早く、そして色付きがあまり良くありませんでした。蓮池もこの例にもれず例年よりも紅葉と言うよりも枯れ終わった葉が多く見られ、紅葉していても葉の先が枯れている木々が多く見かけられました。
万葉集から天智天皇と鏡女王(かがみのおおきみ)のうた
妹があたり 継ぎても見むに 大和なる
大島の嶺に 家居(を)らましを 天智天皇
(意)おまえの家のあるあたりを、いつもいつも眺められるのになあ。大和の大島の嶺に、俺も家があったらなあ。
秋山の 木(こ)の下隠(がく)り 行く水の
我れこそ増さめ 思ほすよりは 鏡女王
(意)秋山の木陰を流れて行く水のように静かに、わたくしのほうこそ、あなたさまのことをもっともっと思っています。
この歌は天智天皇が中大兄皇子の時代に鏡王女に与えた歌とその返歌です。鏡女王は額田王(ぬかたのおおきみ)の姉と言われています。天智天皇の沢山いた愛妾の一人であったと思われます。後に天智天皇は藤原鎌足に鏡女王を与えています。後に藤原氏の存在を強固にしたと言われる藤原不比等の実母とも言われています。一説によれば天智天皇の子供を孕みながら藤原鎌足の正妻になったとも言われています。藤原鎌足は車持氏の正妻がいて長男である真人(定恵)がいましたが、僧にして遣唐使とて危険な旅に出しています。身分の高い天智天皇のお手付きを正妻に迎え、天智天皇の血筋の子供(藤原不比等)を得たための配慮だとも言われています。たしかに藤原不比等は壬申の乱の時は幼かったのですが大友皇子の近江朝廷側にいました。その後、不思議な事に持統天皇に引き上げられて朝廷で力を持ち持統天皇の最側近となりました。持統天皇は天智天皇の娘でした。異腹の弟の不比等を頼りにしていたのかも知れません。やはり血の繋がりなのかも知れません。公式の歴史では教えてくれないでしょうが、どうもこの説が正しいと思います。この時代の話は多くは日本書紀等から読み解くしかないのですが、日本書紀は藤原不比等が中心となって作られた国の公式歴史書です。どうもインチキ臭いのです。そもそも藤原鎌足は突然歴史に現れ、蘇我氏を滅ぼす黒幕として活躍をして、そして大和朝廷の百済への救援軍派兵と同じ頃に突然消え、そして新羅・唐連合軍と戦った白村江の敗戦後に突然舞い戻って来たのか?やはり藤原鎌足は百済王族なのでしょう。そのために新羅に与しようとした蘇我氏を滅ぼす必要に迫られて策謀を練ったのでしょう。当時は大和朝廷は朝鮮半島の百済国の貴族達と深い関係を持っていました。同族だったのでしょう。百済の使節が大和朝廷に来ても通詞は使わずに普通に会話をしていたようです。それだけ関係が深かったのでしょう。
額田王を中心とした中大兄皇子(天智天皇)と大海人皇子(天武天皇)の三角関係もオカシナ感じがします。中大兄皇子の生まれははっきりとしていますが、大海人皇子は良く分からないのです。一応は腹違いの弟とも言われています。しかしオカシイのです。一説では大海人皇子の方が年上だったとする説や、渡来系の王族だったとする説があります。額田王は最初は大海人皇子の后となり十市皇女を生み、その後天智天皇(中大兄皇子)の后となりました。十市皇女は近江朝廷の天智天皇の相続者大友皇子の后となりました。壬申の乱で大友皇子が亡くなると額田王は娘で寡婦となったの十市皇女と一緒に暮らしたのでしょう。
藤原不比等は日本書紀を作るためとして諸家に伝わる家伝などを集めました。そしてそれを返さなかったのです。理由は分かりませんが日本書紀にとって都合の悪い事が多かったのでしょう。つまるところ持統天皇の血筋の正統性と藤原氏の出自を作り上げるためだったのでしょう。そして大和朝廷と朝鮮半島の関係を断ち切ろうとしたのでしょう。
P.S.
☆朴大統領「空白の7時間」が再燃 調査決定に与党は猛反発 セウォル号事故 (2ページです)
やはりうしなわれた7時間の問題が再び火を噴き始めているのです。産経新聞の支局長が書いた記事の、元の記事を書いた朝鮮日報の記者から話を聞きたいですね。産経新聞の記事は朝鮮日報の記事を引用しただけなのです。
☆アメリカと中国が極秘裏に結んだ「軍事協定」とは?~中国戦略センター所長が明かす、ホントの米中関係 (2ページです)
私には大してショックな話ではありませんが普通の日本国民ならばビックリ仰天の記事でしょう。確かに考えられる事ですし、納得できる点がいくつかあります。アメリカの外交は失敗ばかりです。唯一の成功例は日本を完全属国化したことぐらいでしょう。
☆北朝鮮「血の粛清」全真相 ~ナンバー2(崔竜海書記)はなぜ消されたのか? 信念を捨てた人間は、歴史のゴミとして捨てられる (3ページです)
そして誰もいなくなったと言う事になるのでしょうが、北朝鮮の金王朝の崩壊は東アジアに大動乱を巻き起こすかも知れません。
☆日銀追加緩和、積極・慎重派が対立 10月末の決定会合議事要旨公表
日銀内部の意見対立はだんだん激しくなって行くでしょう。日銀が弾切れ状態なのです。あと1会戦しか弾薬が残されていない状態なのでしょう。景気の動向はますます混沌として来ているのです。安倍政権の嘘で固めた経済政策はもうすでに破綻をしています。
☆緊迫の南シナ海 中国の虎の子空母、実は“ポンコツ” 米空母が最強の座キープ (5ページです)
この事は周知の事実です。今後中国は空母を独自開発をして竣工させてくるでしょうが、空母で一番重要なのはどれだけの艦載している航空機を武装をフルにして飛び立たせる事が出来るかなのです。現代戦は情報の早さの勝負なのです。哨戒機をどれだけ早く遠くへ飛ばせるかが勝負なのです。そして戦闘機や攻撃機をフル装備で飛ばせるかが勝負の分かれ目なのです。そのためにはスキージャンプ台方式よりもカタパルト方式で飛び立たせる方が圧倒的に良いのです。この技術はアメリカ海軍の秘中の秘です。アメリカは日本の自衛隊の空母にカタパルト式を搭載する事を認めるかも知れません。そうなれば垂直離着陸機よりも通常の戦闘機の方が圧倒的に有利なのです。その点からして中国の人民解放軍海軍の能力からして、安倍の考えているであろう、いまこそ中国を叩くべきだとする考えが出て来るのでしょう。それは大きな間違いなのです。今戦えば間違いなく日本は中国軍を叩く事が出来ます。しかし中国本土に攻め込む事が出来ない限り戦いは引き分けとなります。安倍の様な単細胞頭には戦争後の地図は描けないのでしょう。戦争だけを考えればいましかチャンスはないでしょう。しかし戦争後の大東亜共栄圏なぞ出来る筈はありません。犠牲が大き過ぎます。安倍の様な反知性主義者の単純頭では複雑な国際社会は渡って行けないのです。
☆低年金受給者に3万円支給検討 約1000万人が対象
これは毎月ではないのでしょうか?年金生活者よりも生活保護受給者の方が有利なのがまず気に入りません。そもそも消費増税の軽減税率など馬鹿な事を考えずに低所得者へ現金給付の方が数段優れているでしょう。私は誤解されては困りますが、私は現金支給には原則反対です。なぜならばそれは日本の政府としてとしての自殺行為だからです。しかし軽減税率などと言う計算や事務手数料の増加から考えて現金の渡し切りの方が良いと思います。むかし通関の業務をしていた事があります。品目をどれにするかで関税が天国と地獄ほど違うのです。複雑怪奇でした。それを消費税の軽減税率で同じ様な事をしようとしているのです。公明党は社会の現実を知らないのでしょう。私は軽減税率には反対です。現金を低所得者へ一括給付の方が良いと思います。例えパチンコ業者や競馬競輪競艇が潤ったとしてもです。
☆インフルエンザを1日で治す薬等、限られた薬のみ優先審査ではなく、全薬を「優先」すべき
製薬会社の多くはこんな薬が認可されたら営業妨害だと思っている会社が多いでしょう。製薬会社だけではなく政治家は政治献金が減り、官僚は天下り先が減るでしょう。昔から薬百層倍と言われる世界です。それだけ荒っぽい世界なのでしょう。
☆コンビニおでんは超危険!絶対に食べてはいけない!具がずっと汁に浮いている異常さ (2ページです)
確かに私もそう思います。コンビニには私もお世話になっていますが、かなりヤバイ物があるのでしょう。
☆緊迫するロシアとトルコ、「第3次大戦」防ぐ処方箋
何とか仲直りが出来なくてもISに対して共同戦線を張れないものでしょうか?
綺麗な紅葉ですねぇ~!
近場ではなかなかこのような綺麗な紅葉は
見られないので、拝見できて良かったです♪
今年は首都圏の紅葉もイマイチの感じです。やはり多雨と気温が下がり切っていないためでしょう。志賀高原の今年の紅葉も色がかなり悪かったです。葉先が枯れている枝が多かったです。遠目では分からないのですが色に鮮やかさが不足している原因だと思います。
今年は山の方の紅葉は1週間ほど早く始まりました。しかしそれから足踏み状態となったようです。首都圏では例年並みか遅れ気味の様です。27日に平林寺へ行ってきましたが今年の紅葉は遅れています。おまけに色が悪いです。逆光でないとまともな写真は撮れませんでした。
やはり首都圏よりも山の方は冷え込むので良い色に紅葉をします。今年は志賀高原もあまり出来は良くありませんでした。