日光山輪王寺 大猷院 (たいゆういん) |
徳川3代将軍家光の廟所(墓所)で「大猷院」とは家光の諡名のことです。慶安4年(1651年)48歳でこの世を去った家光の遺言を受け、4代将軍家綱の命により、承応2年(1653年)に完成しました。祖父である「家康公」(東照宮)を凌いではならないという遺言により、金と黒と赤を使用し重厚で落ち着いた造りになっています。東照宮の建築が白と金と赤を基調にしているのに対して、大猷院は少し地味な感じがします。大猷院は純粋な仏式の建物です。
徳川家康は,元和2年(1616年)に駿府城(静岡県静岡市)で亡くなりました。いったんは駿府久能山に葬られますが、1年後に江戸の北に位置する日光山に改葬される運びになりました。これに力を尽くしたのが天海大僧正です。徳川家康はいったんは駿府久能山に葬られますが、1年後に江戸の北に位置する日光山に改葬される運びになりました。天海大僧正は山王一実神道(天台宗の神道説で、延暦寺の鎮守としてあがめられる日吉山王と天台宗の教理を付会したもの)に則り、家康公の御霊を東照大権現として祀りました。ここに日光東照社(のちの日光東照宮)が成立しました。ちなみにこの頃は天海大僧正は日光山貫主として日光山を取り仕切っていました。徳川家光は寛永13年(1636年)の家康公二十一回忌にあたり、これを大規模に造り替えました。
長命は 粗食正直 日湯(毎日風呂に入ること)陀羅尼(お経)
時折ご下風(屁) あそばさるべし
気は長く 務めはかたく 色薄く
食細くして 心広かれ
上は天海大僧正から第2代将軍秀忠へ、下は第3代将軍家光へ贈った和歌です。家光は好色(あまり女性に興味が無かった)で短気だったようです。
P.S.
☆中朝国境“緊迫状態” 中国、即応部隊2千人を増派 正恩氏発言が影響か
もともと中国は北朝鮮国境沿いは国境警備隊ではなく人民解放軍が展開しています。以前は国境警備隊が任務についていましたが、金正日の時代から人民解放軍が行うように変更されています。北朝鮮の長距離ロケット砲が南ではなく北に向いているとも言われているのです。何とか不測の事態だけは避けてもらいたいです。
☆原発事故で情報操作…「菅直人官邸」に対する東京地裁の興味深い指摘 (2ページです)
今後起きる事が想定される原発事故の緊急対応のために、政府は事実を把握する必要があるでしょう。次の失敗は絶対に許されないのです。もし次も失敗をすれば日本が滅びる事なのです。
☆連続転落死の老人ホーム運営会社、新たに81件の虐待発覚!150の新施設開設計画 (4ページです)
こんな企業が堂々と営業している事が不思議です。悪徳業者と分かっていても営業を止められない現在の介護施設行政なのでしょう。営利に走れば当然こんな企業が幅を利かすようになります。それを止められない行政に問題があるのでしょう。
☆日本株が急落、「パリバショック」が脳裏に
☆東証反落、1万9千円割れ 原油安の悪影響懸念
何が起きるのでしょうか?何かが起きる事は確かなようです!
☆【終活Q&A】死後、引き取り手のいないペットが心配
本当に真面目な話、心配です。
原発事故での情報操作....記事の件ですが、当時の管元総理は「混乱の責任をすべて私に押し付けようとした」といっているようですが、総理たるもの「混乱の責任はすべて私にある」くらいのことは言えないのでしょうか!こんな度量のない政治家風ばかりじゃ嘆かわしいです。一方、自分たちのやっている政治は国民の為と勘違いしている政治屋も嘆かわしいですが! 勘違いと言うよりも利害、損得、(・・・)欲だけでしょうけど。
愚かしい話です。どっちもどっちなのでしょう。二人とも小物だと言う事なのでしょう。永田町に長い間住んでいると周りの事が見えなくなってしまい、勘違いをしてしまうのでしょう。
天海大僧正の和歌も深いものですね。勉強になります。日光は何
度か訪れていますが写真・絵のような記憶がないのです。いつか
ゆっくりの時間が取れれば、苔むした灯篭もみてきたいと思いま
す。
日光は広いです!1年中楽しめる場所です。是非ゆっくり訪ねて下さい!