小石川後楽園の紅葉の始まり |
小石川後楽園の紅葉の始まりです。小石川後楽園は東京ドームの隣にあります。ここは御三家の水戸徳川家の屋敷跡です。水戸徳川家の祖である初代徳川頼房が江戸の中屋敷の庭として造ったもので、第二代藩主の光圀の代に完成した庭園です。光圀は作庭に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、北宋の時代の范仲淹の「岳陽楼記」から「先天下之憂而憂後天下之楽而楽(天下の憂に先んじて憂い、天下の楽に後れて楽しむ)」の一節から後楽園と名付けました。江戸時代初期に岡山藩主・池田綱政によって造営された大名庭園の「後楽園」と区別するために地名から小石川後楽園と呼ばれています。徳川光圀は本来は次男であった自分が水戸徳川家を継いだ事を不本意に思っていた様で、長男だった後に12万石の讃岐高松藩主になった松平頼重に常に遠慮をしていたと言われています。頼重は父親の初代水戸藩主徳川頼房の長男でしたが御三家の尾張や紀州への気遣いから家臣の家で育てられたためにお目見えが遅れたために、次男の光圀が水戸家を継ぐ事になりました。そのために水戸光圀と松平頼重はお互いの子供を交換して養子にして、それぞれの家を継がせました。
水戸藩は光圀の始めた修史局彰考館の創設、及び紀伝体の史書である日本史「大日本史」の影響により水戸学を奉じる勤皇家として知られており、「もし徳川宗家と朝廷との間に戦が起きたならば躊躇うことなく帝を奉ぜよ」との家訓があったとされる家です。幕末の初めは水戸藩の尊王攘夷思想によって井伊大老の暗殺等の混乱が始まったとも言えるのです。その後、水戸藩内は大きく2つに分裂していました。保守派(諸生党)と改革派(激派)の対立が激しくなりやがて改革派も過激派は天狗党として筑波山に立て籠もりました。これにより改革派は過激派(激派)と穏健派(鎮派)の2つに分かれ保守派の諸政派と3派の対立抗争となり過激派は天狗党の乱を起こし水戸藩内は大混乱となりました。幕府は鎮圧のために水戸藩の支藩である宍戸藩主の松平頼徳を水戸藩主徳川慶篤の名代として内乱鎮静の名目で鎮派の藩士を付けて派遣しました。水戸城に入城しようとした鎮派は水戸城外で水戸城を占拠していて入城を拒否した諸生党と戦って敗れてしまいました。今度は幕府は相良藩主田沼意尊(若年寄)を追討軍総括として諸藩連合軍を率いて諸生党と一緒になり退却した鎮派を攻撃し、ますます混乱は深まるばかりとなり、お互いに殺し合う事になりました。宍戸藩主の松平頼徳は幕府に「真意を訴える機会を与える」と騙されて呼び出され、天狗党と野合をしたとして切腹させられました。そして1000名余りの家臣も囚われてしまい主なる家臣は切腹させられました。諸生派が実権を握ると改革派の2派に対して家族皆殺しを始めたのです。そして幕末を生き残った天狗党が明治維新で実権を取り返すと諸生派の家族の皆殺しを始めたのです。このお互いの殺し合いにより水戸藩は完全に人材が底をつき、明治維新後の新政府へ人材を供給できませんでした。
古今集から藤原興風(ふじわらのおきかぜ)のうた
深山(みやま)より おちくる水の 色見てぞ
秋は限りと 思ひ知りぬる
(意)奥山から流れ落ちてくる水の色が赤く染まるのを見て、初めて秋はもう終りなのだと思い知った。
P.S.
☆ネットにあふれる怨嗟の声 中国と習近平の「悪循環」が止まらない 経済失政、戸籍差別、権力闘争…2016年、何が起きてもおかしくない (5ページです)
問題山積みの習政権です。一つ間違えると世界大恐慌のヒキガネとなります。
☆南シナ海仲裁手続き、中国が直面する「国際的代償」
アメリカは人民元を国際通貨にしてあげたのだから、中国は国際法を順守する国になれと言うことなのでしょう。常設仲裁裁判所とは1899年にハーグ万国平和会議で合意され、ハーグに設立された常設国際司法機関の事です。
☆日本の10億円拠出「少女像移転が前提」 慰安婦問題
そう簡単には行かないと思います。そもそも朴政権が始めたキャンペーンです。まさにマッチポンプ!火をつける事は反日を煽る事で簡単だったのですが、火を消すことは逆に朴政権にとって命取りになりかねません。朴政権の身から出た錆なのですが、解決を急ぎ過ぎない方が日本と韓国の双方にとって良いのだと思います。アメリカの都合なのでしょうけれど、急ぎ過ぎると逆効果になりかねません。
☆有志連合がイスラム国指導者ら10人殺害、パリ攻撃関係者も
当然多くの一般市民も犠牲になって居るのでしょう。仕方がないとも言えますがテロリストを増やす事にならなければいいのですが。
☆「テロとの長き戦い」から西側が学ぶべき教訓
日本も学ぶことが多いでしょう。日本は平和でした。今後も平和を守る事に全力で励むべきでしょう。風見鶏と言われようとも、平和憲法を前面に出して平和を守る事に全力を尽くすことが日本の平和、そして世界の平和に力を与えるでしょう。愚かな紛争や戦争に巻き込まれるべきではありません。専守防衛で過剰な軍備は不必要です。不当な武力を使っての日本への干渉は、武力に頼らず知恵と国際的な協力で乗り切る事を考えるべきです。
いよいよ2015年がおわります
ここで学ばせていただいたことで例年以上に色んな事に関心を持ちました
その点で 最後まで何だかスッキリしない一年でした
色んな事学ばせていただきました
色んな風景も楽しませていただきました
一年間ありがとうございました
来年もどうぞよろしくお願いします
良き新年をお迎えくださいませ
読み逃げばかりで申し訳ありませんでした、隠れファンです
相変わらずの行動力、いつもびっくりやらあきれるやら羨ましい限りです
本当にありがとうございました、来年も楽しみにしています 五郎
来年もよろしくお願いいたします。あちらこちらガタが来ている身体に鞭を打って動き続けています。