熊谷市 能護寺のアジサイ1 |
能護寺は天平15年(743年)に国家安穏・万民豊楽と五穀豊穣を祈願のため行基上人が開山し、後に弘法大師空海が再建されたと伝えられています。旧妻沼町には能護寺のそばに歓喜院があります。日本三大聖天の一つとされています。一般には「妻沼聖天山(めぬましょうでんざん )」と称されることが多いですが一般的に聖天さまと呼ばれています。 「埼玉の小日光」とも呼ばれ(熊谷市の案内では本殿が国宝に指定された頃より「埼玉日光」としている)ています。この聖天さまは長井庄(熊谷市妻沼)を本拠とした平家の武将だった齋藤別当実盛が、守り本尊の大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立し、長井庄の総鎮守としたのが始まりとされています。齋藤別当実盛は越前の出身ですが、長井庄(妻沼)に本拠を構え源氏の棟梁だった源義朝の郎党でした。のちに源義朝の弟の義賢に従いました。しかし大蔵合戦により兄の義朝が弟の義賢を討ち滅ぼす事になり、再び義朝に下に付きました。この時に義賢の遺児だった駒王丸を畠山重能から預かり保護をしました。その後、駒王丸の乳母が妻である信濃国の中原兼遠のもとに送り届けました。この駒王丸こそが後の旭将軍・木曾(源)義仲です。
齋藤別当実盛は保元の乱、平治の乱では義朝の忠実な部将として都で活躍をしました。義朝が滅亡した後は、関東に無事に落ち延び、その後に平氏に仕え、東国における歴戦の有力武将として平清盛の郎党として都で重用されました。そのため、治承4年(1180年)に義朝の子である源頼朝が挙兵しても平氏方にとどまり、平維盛(平清盛の嫡孫で、平重盛の嫡男)の後見役として頼朝追討に出陣しました。しかし源頼朝と富士川の戦いで、木曽義仲と倶利伽羅峠の戦いの二大決戦で平家は壊滅的な敗北を喫しました。そして齋藤別当実盛の最後は加賀国の篠原の戦いで木曽義仲と戦い、白髪を墨で染めて戦いに臨み義仲の部将の手塚光盛によって討ち取られました。首実検の場でも実盛本人と分からなかったのですが、齋藤別当実盛が白髪を墨で染めている話を樋口兼光(木曾義仲の乳母子にして股肱 の臣。義仲四天王の一人)から聞いた義仲が首を付近の池にて洗わせたところ、みるみる白髪に変わったため、ついにその死が確認されたとされています。かつての命の恩人を討ち取ってしまったことを知った義仲は、人目もはばからず涙にむせんだと言われています。平家物語では巻第七に「実盛最期」として一章を成し、
昔の朱買臣は、錦の袂を会稽山に翻し、今の斉藤別当実盛は、その名を北国の巷に揚ぐとかや。朽ちもせぬ空しき名のみ留め置いて、骸は越路の末の塵となるこそ哀れなれ
と評しています。 朱買臣(しゅばいしん)とは中国の前漢の政治家で字(あざな)は翁子。家貧しく薪(まき)を背負いながら読書に励みました。武帝に認められ出世を重ね、のち会稽太守として東越の乱を鎮圧しました。
実盛の子の斎藤宗貞・宗光は平維盛(平重盛の長男)に妻子を守護するように命じられ、戦列を離れ最後まで守り通したと言われています。平維盛の子供の六代は平家滅亡後に鎌倉へ出頭し、頼朝に許されました。源頼朝が妻沼の聖天宮を訪れたときに実盛の子の阿請房良応僧都(実盛の次男斎藤実長)が別当寺の建立を願い出て了承され「歓喜院」を別当寺として創建しました。
P.S.
☆増田寛也氏 社外取締役だった「東京電力」との本当の関係 (3ページです)
自民党政権に寄ればお金儲けができて、司法機関や収税機関によって守られるのでしょう。我が家のような家は徹底的にマークをされてきました。権力に逆らう事は非常に勇気のいる事なのです。特に安倍政権になってから顕著です。しかし大臣在任中に2億円のマンションの購入ですか?管理費が高いでしょうね!その資金の原資は当然に国税は調べなかったのでしょうね。やはり政治は金儲けの手段なのでしょう。我が家は国税も認める「井戸塀」でした。
☆作家・浅田次郎が語る「戦争の手触り」〜戦争を描くことは"使命"だと思っています (3ページです)
私は戦後の生まれですが、戦争の事は両親の世代から沢山聞かされてきました。幸いに私の家族や親戚の多くは最前線には出されませんでした。それでも大変な思いをしたそうです。以前勤務していた会社の役員はインパール作戦の生き残りでした。生きているのが不思議だと言っていました。親戚でやはりインパール作戦で負傷し助からないと覚悟を決めた時に、見ず知らずの兵隊たちが交代で背負ってくれて無事に帰還できた人がいます。共倒れになるから置いて行ってくれと言っても、頑張れ頑張れと最後まで励まし続けてくれたそうです。その人たちとは郷里が近い事もあり終生親戚付き合いをしていました。・・・傷痍軍人というのは、僕はすごく生々しく覚えている。子供の頃、傷痍軍人を可哀想だと思ったことはないんです。ただただ怖かった覚えがあります。・・・私も母親にあの人たちは何と聞いたことがありました。駅前などで白衣を着た手や足を失った人達を見るのは不気味に思えました。母は「誰が始めた戦争だかわからないが、酷い戦争だった。そのお蔭で死んだり大怪我をした人達が沢山いる。」と言っていました。父は戦後中国大陸から引き揚げてきて弁護士として祖父の法律事務所を手伝いながら社会主義活動に励んだのです。
☆米国株はダウ最高値更新、トルコクーデター報道で先物下落
強権政治を推し進めているエルドアン大統領です。強権でなければ少数民族や宗教の問題があり国の統治が難しい状況なのでしょう。軍事政権となればもっと強権政治となります。ますます世界経済は混乱をする事になります。アメリカもEUも頭が痛いどころの問題ではないでしょう。混乱をすればロシアも困るでしょう。クーデターが成功するか、失敗をするか?そして成功した場合はどのような新政権が出来るかですが、いまのところ判断が難しいでしょう。トルコはEUに加盟申請中です。どう影響が出るか分かりません。トルコは北キプロスを占領していて国際法上無効であると国連は宣言し、トルコ軍の撤退を要求しています。学生時代にギリシャへ行ったことがあります。その時はキプロス紛争でギリシャ軍はキプロス島でトルコ軍と戦争中で、アテネ市内も何となく戦争中と言う雰囲気はありました。アテネ市内でビールを飲んでいると隣の席に休暇中の若い将校が私服を着て恋人と一緒にいました。彼は翌日キプロスに戻るそうで、トルコ軍と対峙をしている部隊だそうでした。2004年に南部のキプロス共和国がEUに加盟しました。トルコは加盟申請中で加盟にはマーストリヒト条約では、既存の加盟各国と欧州議会の同意を得る事が絶対条件とされています。そのためにトルコはギリシャとキプロスの同意が必要となります。そのためにはトルコ軍の撤退が絶対に必要となります。
15世紀にはギリシャやキプロスはオスマントルコに占領されました。そしてヨーロッパ諸国はギリシャをオスマントルコから独立させ、ヨーロッパ諸国の防波堤にするように協力をしたのです。ギリシャは1821年にオスマントルコに対して独立戦争を始め、イギリス、フランス、ロシアがこれを支援して、8年後に独立を宣言しました。そのとき独立したのは現在のギリシャの一部だけで、トルコとの戦いは、その後100年近く続いたのです。最後は第1次世界大戦(1914年から1918年)の敗戦によるオスマントルコの崩壊が始まりトルコ共和国になったのです。ギリシャは「古代ギリシャの復活」の夢を見て、トルコもまた、一時はアラビアから東ヨーロッパまでを支配した「オスマントルコ帝国の復活」の夢を見ていたのです。両者はエーゲ海をめぐる争奪戦を続け、その一つが、トルコの沖合いに位置するキプロス島だったのです。
トルコのEU加盟申請に対してEU諸国はトルコ東部に住むクルド人の独立運動に対する弾圧や人権侵害、経済の不安定さ、アフガニスタンからイランを通って運ばれてきた麻薬をトルコ人がヨーロッパに転送する役割を果たしている、といった問題点を指摘され、それらが是正されない限り、EUへの加盟は許可しないとしています。そして最近はシリアなどからの避難民の経由地として重要であり、トルコもEUへの出来るだけの協力をしています。
☆トルコ軍一部のクーデター試み失敗か、大統領「国家への反逆」
このクーデターが失敗をして、エルドアン大統領の政権基盤が強まったのか弱まったのかはしばらく様子を見ないといけないでしょう。日本にとって明治時代から一貫して親日国であるトルコです。
☆アッという間に市民に制圧されたトルコ・クーデターの隠された意味
エルドアン大統領はクーデター計画を承知をしていたのかも知れませんね!今後はギュレニスト派の軍人の大粛清と野党への懐柔と言う事になるのでしょう。トルコのギュレニスト派とはイスラムの教えに基づく穏健な非暴力主義者だと思いましたが、良く分かりません。エルドアン大統領は2014年にトルコ軍の中に存在するギュレニスト派の将校を大量に粛清しました。今回はその残党の決起なのでしょう。トルコ国内の政治情勢は中東の不安定化と非常に密接な関係があります。いろいろな派閥が複雑に絡まり合っているのでしょう。その中でエルドアン大統領は強権化の道を歩んでいるのです。
☆安倍政権を支える「日本会議」会長の仰天発言と時代錯誤 (3ページです)
この人は認知症か狂っているかでしょう。日本会議の異常性が良く出ている会見だったのでしょう。日本外国特派員協会の会員は非常にノーマルな考え方を持っている内外の記者たちで構成されています。これで安倍の異常さが世界中から日本に来ている記者たちに分かったでしょう。呆れ返ります!まさに日本の恥です!
☆円の価値を「叩き壊す」ヘリマネ議論
そして安倍の狂気がヘリコプターマネーなのです。狂っています!それでも国会で絶対多数と人事権を握っていれば何でもできるでしょうから、狂った安倍はやるでしょう。日本の崩壊にならなければいいのですが!本当に求められる経済政策には特効薬はないのです。地道に少しづつ間違えた経済政策を正していくしかないのです。