日光山 日光東照宮の紅葉2 |
もともと日光は二荒山(ふたらさん)と呼ばれていて、日光の名前になるのは鎌倉時代以降と言われています。二荒をニッコウとも呼んでいて、それから日光の漢字が当てられたのでしょう。霊場としての日光の始まりは、下野国の僧の勝道上人(735年-817年)が北部山岳地に修行場を求め、大谷川北岸に766年(天平神護2年)に紫雲立寺(現在の四本龍寺の前身)を建てたことに始まるとされています。そして二荒山神社の創建は、勝道上人が767年(神護景雲元年)二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたことに始まるとされています。この祠は現在の別宮となっている本宮神社にあたります。当時は明治維新まで続く神仏習合の時代で神社には必ず寺院(神宮寺)が付属しました。勝道上人は神宮寺として中禅寺を二荒山神社の麓の中禅寺湖畔に創建しました。二荒山神社の本社は日光山の一番奥に鎮座をしていて元々は広大な神域を持つ巨大な神社で神域は伊勢大社に続くものと言われていました。しかし、豊臣秀吉の小田原攻めの時に北条氏に加担をしたために豊臣秀吉により神域を大幅に減らされ没落をしてしまいました。そこで徳川家康と言う救い主が現れたのです。
家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言からです。金地院崇伝の日記には家康の遺言として「遺体は久能山に納め、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて神として祀ること。そして、八州の鎮守となろう」と残されています。家康が目指した「八州の鎮守」とは、日本全土の平和の守り神でもある。家康は、不動の北辰(北極星)の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたと伝えられています。それによって日光に日光東照宮が作られました。そのために日光の二荒山神社の神域の一部を東照宮に譲る事によって、二荒山神社は復活をする事が出来たのです。
輪王寺は日光山全体の寺院を統合していました。明治の神仏分離以降でも本堂・大猷院・慈眼堂・常行堂・中禅寺・護摩天堂・四本龍寺等のお堂や本坊、さらに十五の支院を統合して出来ており、その全体を指して輪王寺と総称されました。比叡山延暦寺も同じで比叡山山中に点在する寺院群を比叡山延暦寺と総称します。
詞花集から和泉式部のうた。
秋吹くは いかなる色の 風なれば
身にしむばかり あはれなるらむ
(意)秋に吹くのはどんな色をしている風だからといって、身にしみるばかりに哀れ深いのだろうか。
☆自民党の支持者たちよ、どう償うのか?
安倍のために日本がおかしくなっている事に気が付いていない国民が多いのでしょう。特に自民党へ投票する人達は自分で自分の首を絞めている事に気が付いていないのです。確かに野党の馬鹿さ加減には呆れますが、与野党ともに世の中が分かっていない人が議員になる時代になっているのでしょう。お金の魅力、黄金色の魅力に惑わされ易い人が議員になるのでしょう。偉くなりたいと考える事は決して悪い事ではないのですが、常識と実力が伴わない人が議員になるのです。
☆支持率60%超 安倍内閣の中身は…
嘘だと分かっていても騙されたいという願望があるのかもしれません。詐欺や宗教と同じです。
☆教祖は同じ言葉を繰り返し嘘でも本当になる トランプに故チャべスの亡霊を見る (2ページです)
世界の権力者はみな同じ性格です。自己顕示欲が強く、自分勝手なのでしょう。
☆東京地検特捜部が狙いをつける「復興利権」の疑惑と闇 「最強の捜査機関」の復活は成るのか (2ページです)
残念ながら日本では検察は権力に付随しているのです。検事は法務省の完全管理下にある法務官僚のキャリアーだからです!まだ日本には三権分立が出来ていないのです。
☆ヘッジファンドが作った相場はいずれ崩れる 米ドルも日本株も割高だと言わざるを得ない (2ページです)
今は各国の政府が経済不況に追い込まれて博打に手を出すようになったのです。博打は永遠に勝ち続ける事は出来ません。
☆いよいよ法廷へ “盛り土問題”石原氏らに計91億円賠償請求 (2ページです)
証明する責任が告訴側にあります。なかなか難しいでしょう。
☆NHK籾井会長、再任困難 経営委員の同意足りず
良かったと思います!安倍の強引な人事が行き詰り安倍もゴリ押しを諦めたのでしょうか?あるいは都知事候補だった人の天下り先としてポストを空ける必要があったのでしょうか?いずれにしても安倍官邸に逆らうような人物を安倍が押し込む事は無いでしょうから金太郎飴かも知れません。安倍が望んでいる事はジャーナリズムの公共放送のNHKではなく、情報統制が出来る公共放送のNHKなのかも知れません。
☆「ドイツ版CIA」の情報部員はISISのスパイだった
とんでもない事が起きているのです。
☆カキの驚愕の効能…内臓疾患や疲労に効果!究極のおいしいカキを食べる方法 (2ページです)
むかし何度か牡蠣に当たった事がありました。それ以来、苦手になっています。