京都 永観堂の紅葉3 |
父は反乱鎮圧後に部隊に帰され、24時間完全武装で行軍をさせられ、夜になると倒れ込む兵隊が多かったそうです。父は多くの人達の救出活動のお陰で特別に祖父と取調室で取り調べの中尉が背中を向けて窓を見ている間に面会が出来ました。生き残るには幹部候補生となり将校になるしかないと説得をされ、願書を直ちに出すように言われたそうです。取り調べの中尉はその場でペンと願書を持ち出してきたのだそうです。その取調べした中尉は後で2.26事件に決起した将校の仲間として免職になりました。2.26事件の反乱兵は帰隊後は分散させられて中国戦線に送られ多くは戦死を強要されました。敵のトーチカへ銃剣で突撃を命じられ後ろから味方の機関銃で撃ち殺された兵隊も多かったと言われています。父は幹部候補生となり少尉任官すると即日予備役に編入され陸軍から軍属として上海に派遣され軍の外郭貿易会社の部長となりました。父は東大の在学中に高等文官試験の司法科と行政科の両科に合格しました。陸軍には高等文官試験の両科に合格した士官はいなかったと思います。
祖父がどの様なやり方で父に面会できたかは祖父は生涯父に明かさなかったそうです。物凄いお金もかかったと思います。当時の祖父は東京帝国大学法学部卒業の元法務官僚で弁護士でした。国会議員ではなく政党の政友会の埼玉県の幹事長で、当時から東京帝国大学法学部は官僚になる出世コースでもあったので、先輩後輩が政府の要職に在ったのでコネもあり政治力はあったのですが、軍部には全く力が及ばなかったようです。軍部は陸軍士官学校と陸軍大学を出ていないとダメなのでしょう。祖父は何か特別な仕掛けをしたのでしょう。父は元気だったころの昭和天皇から「貴様は反乱兵だな」と叱責された事があり、非常に怖い目つきで睨みつけられそうです。天皇はいまだに2.26事件の事を怒っていると言っていました。
一度NHKの番組で父の古い写真が出た事がありました。1枚はたぶん父が再召集され南京の国民党の何応欽(かおうきん)将軍の屋敷を接収して、輸送部隊の司令官と一緒に副官として住んでいたころの写真だと思います。当時、父は国民党の何応欽将軍から手紙をもらったそうです。「戻るまで屋敷を大切に使ってもらいたい。いずれ必ず帰るから」との手紙だったそうです。父はその手紙を何応欽将軍から貰うと部下に屋敷を大切に使うように命令をしたそうです。昔ですが父と母と一緒に台湾を訪問したときに何応欽将軍と逢ってきました。何応欽将軍が亡くなる少し前でしたが元気そうで3名のチャイニーズドレスの美女秘書に囲まれて楽しそうでした。父は戦争中の手紙の事を何応欽将軍に話したところ、そんな事もあったな!と大笑いをしていました。何応欽将軍には日本の総理経験者も面会をしたがっていたのですが、外務省がどうしてもルートをつかめなかったそうで私たちが何応欽将軍と逢った事は公式な外交関係のない台湾の政府から日本の外務省へ連絡が行き外務省で大騒ぎとなったそうです。
台湾で何応欽将軍と面会をする事は事前に外務省へ通告してありましたが、日本の総理経験者も面会を断られたので私達が何応欽将軍に逢う事を外務省は全く信用してくれませんでした。外交関係はありませんが台北には日本の大使級の外交官が常駐していて交流協会の事務所を構えています。何応欽将軍と面会をする数日前に駐台湾事務所の所長(大使)が外務省からの命令でホテルに私を訪ねてきました。話しているうちに何応欽将軍と会う予定だと伝えると、怒り出して席を立って帰ってしまいました。何応欽将軍と面談後に何応欽将軍の参謀総長の陸軍中将にお礼の席を設けてからホテルに帰ると駐台湾大使がホテルのロビーで待ち構えていて、外務省から何としても面談のルートを調べろと訓令があったのだそうです。当然教えませんでした。何応欽将軍は終戦前に連合国中国戦区陸軍総司令となり終戦後の中国戦線の日本将兵の扱いに特別な配慮をし、日本将兵の早期帰還に努力をしてくれた人物で武装解除後も日本将校の帯刀を日本に帰るまで認めた人物です。日本の陸軍士官学校を卒業(第28期)した軍人で、戦争中は国民党の軍政部長として難しい職をこなし蒋介石の片腕と言われた将軍です。
11月29日の永観堂の紅葉です。カメラはニコンD500と16-80mm&タムロン70-300mmです。
禅林寺は通称永観堂と呼ばれ、永観堂の呼び方のほうが一般的となっています。空海(弘法大師)の高弟だった僧都真紹が、都における実践道場の建立を志し、藤原関雄の邸宅跡を買い取り寺院としました。当時の京都ではみだりに私寺を建立することは禁じられており、清和天皇より定額寺(じょうがくじ)としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わって公認の寺院となりました。定額寺とは国家の寺院(東大寺など)として作られた寺院の次のランクの寺院です。
中興の祖とされる7世住持の律師永観によって浄土宗色が強まっていきました。永観堂の名前の由来は律師永観から来たものです。
古今集から藤原関雄のうた
霜のたて 露のぬきこそ 弱からし
山の錦の 織ればかつ散る
(意)霜の縦糸、露の横糸は弱いらしい。山の錦が織り上げるはしからほどけてゆく。
霜や露が木の葉を鮮やかに色づかせると考えられていました。
☆東京で子どもの貧困家庭が2割超
原因は安部です!
☆昭恵夫人が名誉校長辞任 首相、寄付金集め抗議も
ついつい安倍は追い詰められた口が滑ったのでしょうか?「私や妻、事務所は関わっていない。他の政治家に関しては首相として答える立場にない」とは誰かが関係していた事を安倍は知っていると言う事です。安倍は興奮すると、つい本音が出るのです。責任を他人に転嫁しようとしているのでしょう。劇場型の人によくあるケースとも言えるでしょう。やはり何か底が深いと言う事なのでしょう。他の政治家とは誰でしょうね。やはり大阪の日本会議のメンバーの政治家なのでしょう。国会議員に限らないでしょう。
☆反対続出だったのに 「安倍晋三小学校」スピード認可の謎 (4ページです)
☆大新聞も同じ穴のムジナだ “安倍晋三小学校”疑惑の底なし (7ページです)
許認可権は大阪府にあります。松井府知事の指導があったのでしょう。大阪府私立学校審議会は大阪府知事が審議会の委員を推薦するのです。
☆松井一郎知事「虐待で森友学園の通報はない。民進党はおかしい」⇒嘘でした!大阪府にも被害を通告済み
「天網恢恢疎にして漏らさず」でしょう。老子に書かれていた言葉です。天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということです。
極右は商売なのでしょうか!何か胡散臭いですね。
☆【内部告発】森友学園の業者「汚染土は処分費がかかるので、半分は運動場西側に埋めてある」子を持つ親として許せないと思い証言
☆<森友学園>「ごみ埋めた」業者証言
もし本当だとすると許せない話です。
☆中国の「対北朝鮮制裁」にだまされるな! 対中圧力、金融抜け穴封じこそが鍵 (2ページです)
中国にとって北朝鮮は絶対に必要な防波堤なのです。アメリカとの緩衝地帯として無くてはならない国なのです。
☆プーチンがひそかに狙う米シェール産業の破壊 (2ページです)
プーチンは信用できない人物です。やはりKGBのスパイを操ってきたエージェント出身だけあります。ロシアにとってエネルギー産業は国にとってもプーチン達の個人的なグループにとっても美味しいのです。
☆前代未聞の大統領、ここまでメディアと衝突するとは トランプ大統領と米国メディアが「全面戦争」突入へ (2ページです)
トランプは安倍と同じで精神疾患のパラノイアなのでしょう。偏執病とも言われます。パラノイアの症状としては・・・。
◎誇大妄想:超人、超越者、独裁者、絶対者という存在へと発展する。
◎激しい攻撃性:誹謗中傷など。弱肉強食というような考えで弱者に対して攻撃的である。
◎自己中心的な性格:自分が世界の中心にある絶対者だと思い込んでいる。
◎異常な支配欲:独裁的な妄想を持つ。
・・・当てはまるでしょう!だから二人は話が合うのです。
赤色が鮮やかで、綺麗です。
台湾はやっぱり、心配になってしまいます。
Trumpのような軽い男に翻弄されるのは気の毒です。
日本も小国、辺境の国ですから、腹をくくっておかないといけませんね。
もう軍国の匂いまでしてきますが
さて、どうしたものでしょうね。
でも
今日もスマイル
永観堂の紅葉は格別ですね!
だんだんときな臭くなってきました。トランプや日本会議の様な単細胞な思考しか出来ない人達は危険です。