フローラルガーデンおぶせ1 |
北斎の有名な八方睨みの「鳳凰図」のある岩松院は小布施へ丹波から栗を持ってきた地頭として丹波から入ってきた荻野備後守常倫の開基と言われています。また広島藩50万石の藩主福島正則が幕府の言いがかりによって城地を没収され信濃国川中島郡を中心に高井野藩(高山村)4万5千石へ移封になりました。幕府は福島正則の反逆を警戒してまとまった土地を与えず細かく分散して周りを譜代大名領や旗本領で囲みました。福島正則の最後はよく分かりませんが切腹したのは確かのようで、家臣たちによって幕府の検視の前に火葬にしたために高井野藩は改易となり末子政利が3112石の旗本になりましたが嗣子無くして死去したため改易となりました。福島正則の菩提寺は小布施町の岩松院で霊廟があります。
岩松院の蛙の池で小林一茶が詠んだ俳句。
やせ蛙 負けるな一茶 これにあり
この俳句は岩松院の裏庭にある小さな池にアズマヒキガエルが産卵のために集まり♀より♂が多いために♂同士の合戦の様になるなるそうです。この歌は一茶の初めての子供仙太郎の身体が弱かったために仙太郎をやせ蛙としたと言われています。仙太郎は生後1ヶ月で亡くなってしまいました。