横浜港の大桟橋からの夜景 |
横浜は江戸幕府により開港される前は江戸湾に面する100軒足らずの農業と漁業の村でした。1854年(安政元年3月)ペリーの二度目の来航で結んだ「日米和親条約」(神奈川条約)をはじめとしてアメリカ、オランダやロシア、イギリス、フランスとも通商条約が結ばれ、正式に幕府は神奈川、長崎、箱館(函館)を開港し外国との自由貿易を許可したのです。横浜は1859年の7月1日に開港しました。最初は神奈川を開港するはずでしたが、神奈川は遠浅の海岸で東海道に面した場所であったため外国人とのトラブルを避けるために、急遽横浜に変更されたのです。開港当初は主に生糸・茶・海産物を輸出し、絹織物・毛織物が輸入されていました。1868年(慶応4年)までの9年間にポルトガル、プロシァ、ベルギー、スイス、イタリア、デンマークといった国々と通商条約を結んで横浜は貿易港として栄えました。
横浜が開港した後にまず初めに現在の山下町に位置するところに山下居留地が4年ほどで完成し、その後に横浜居留地、山手居留地などが幕府により造成されていきました。また港湾施設として幕府により東西の波止場(はとば)が築かれました。1872年(明治5年)5月に日本で初めての鉄道が品川と横浜の間で開業し、9月には新橋と横浜の間で開通しました。桜木町駅の関内寄りに「鉄道発祥の地」の記念碑がありますが、現在の横浜駅が1915年(大正4年)に開業する前の43年間は現在の桜木町駅が横浜駅でした。明治27年に現在の大桟橋の原型が明治政府により造成され赤煉瓦街も作られました。
ブルーライト・ヨコハマ 作詞:橋本淳 作曲:筒美京平 唄:いしだあゆみ
街の灯りが とてもきれいね
ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ
あなたとふたり 幸せよ
いつものように 愛の言葉を
ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ
私にください あなたから
歩いても歩いても 小舟のように
私はゆれて ゆれて あなたの腕の中
足音だけが ついて来るのよ
ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ
やさしいくちづけ もう一度
歩いても歩いても 小舟のように
私はゆれて ゆれて あなたの腕の中
あなたの好きな タバコの香り
ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ
二人の世界 いつまでも
横浜のご当地ソングの投票では断トツの第1位で2位の「赤い靴」を大きく引き離していると言われています。
デジタルカメラの進歩にはビックリしますね。特にソニーはミノルタのカメラ部門を買収しましたが、やはり機械屋さんです。普通のカメラメーカーよりも面白いものを作ります。
夜景はきれいです。特に水辺の夜景は綺麗ですね!
世界中が問題だらけです。ロシアも国内では政府がマフィア
の様なものです。ジャーナリストが殺されています。それで
もロシアのジャーナリストは頑張っています。