出流山(いずるさん) 満願寺2 |
出流山は幕末の混乱期に江戸の三田にあった薩摩藩江戸屋敷の「薩邸糾合屯集隊」の分遣隊である「出流山糾合隊」約200名が蜂起した場所で、後に幕府軍と各藩兵の討伐で岩船山で壊滅し唐沢山周辺で幹部が捕らわれ処刑されました。薩摩藩江戸屋敷にあった薩邸糾合屯集隊は御用盗として有名でした。西郷隆盛の指示で作られた秘密部隊で薩摩藩士益満休之助等若手藩士が薩摩から江戸に送り込まれて作られた部隊でした。500名ほどの浪士が江戸を騒乱状態にする目的で江戸市中で活動し隠れ家として治外法権の三田の薩摩藩邸を使っていました。将軍をはじめ幕府首脳が大阪城にいるときに江戸の留守を預かった老中稲葉正邦の指示で幕府や諸藩の薩摩藩江戸藩邸の焼き討ち事件へと発展することになりました。この時に捕らえられた御用盗事件の首謀者の薩摩藩士江戸留守居役南部弥八郎、同添役肥後七左衛門、藩士益満休之助の3名は処刑される寸前に勝海舟によって助けられ勝海舟の屋敷で幽閉されていました。勝海舟はいずれ幕府は官軍に攻められると考え、事後処理に備えて3名の薩摩藩士の命を助け出したと言われています。
後に江戸城無血開城の寸前に無血開城への幕府の使者の山岡鉄舟を官軍の充満している東海道を駿府の総督府の参謀西郷隆盛まで送る道案内として御用盗事件で捕らえられた薩摩藩士益満休之助が随行し、無事に駿府まで送り届けました。当時はすでに品川まで官軍が到着していて東海道は江戸攻めの官軍の軍兵で充満していましたが益満休之助の話す薩摩弁が通行手形となって駿府まで辿り着くことが出来たと言われ、幕府の使者である山岡鉄舟は官軍の参謀の西郷隆盛との会見に成功しました。後の西郷隆盛と勝海舟の江戸無血開城の談判の前座となった重要な会談でした。後に、益満休之助は上野山の彰義隊との戦いで薩摩藩遊撃隊の斥候として戦いに参加して流れ弾に当たり28歳で戦死しました。人物としてなかなか立派だったと言われています。
勝海舟の名言
俺など本来、人(生まれ)が悪いから、
ちゃんと世間の相場を踏んでいる。
上がった相場はいつか下がるときがあるし、
下がった相場もいつか上がるときがあるものさ。
その間、十年焦らずじっとかがんでいれば、
道は必ず開ける。
いまの世の中は、実にこの誠というものが欠けている。
政治とか経済と言って騒いでいる連中も、
真に国家を憂うるの誠から出たものは少ない。
多くは私の利益や、名誉を求めるためだ。
世間の者は「勝の老いぼれめが」と言って嘲るかしらないが、
実際俺は国家の前途を憂うるよ。
勝海舟の家は貧乏旗本で御家人上がりの旗本の家でした。禄高の低い旗本身分からのし上がりました。勝海舟は幕府の定めた人材登用試験であった学問吟味を受けなかった様です。勝海舟は学問よりも実務でのし上がったのでしょう。
江戸時代後期は優秀な人材がお目見え以上の旗本階級で不足してきたために広く幕臣から優秀な人材を求めるとして選抜試験を設け成績優秀な人材を幕臣の旗本や、お目見え以下の御家人の中から求めました。寛政の改革を主導した老中松平定信は寛政3年(1791年)若年寄安藤対馬守を通じて通達を出し、学力のある者を各部署の頭から推挙させ、湯島聖堂(寛政9年に昌平坂学問所に改称改組)において目付の立ち合いの上で儒者が試験をする、というものでした。これが第1回目の学問吟味試験でした。しかし幕府の中枢部で意見の違いがあり第1回目の学問吟味の試験は無効とされました。第2回学問吟味は寛政6年(1794)2月に行なわれました。受験科目は経科・歴史科・文章科の3科でした。237人が受験し、甲科及第者5人、乙科及第者14人、丙科及第者28人の結果でした。甲科及第者におけるお目見以上の(旗本)首席は小姓組番士遠山金四郎(景晋)、お目見以下(御家人)の首席は徒衆大田直次郎(南畝)でした。遠山金四郎は後の町奉行遠山の金さんの父親です。大田直次郎は狂歌師で有名な大田南畝です。蜀山人(しょくさんじん)とも呼ばれていました。ここで秘密を一つ・・・第1回目の学問吟味が無効とされた原因は大田南畝の評価について大きく意見が分かれて混乱をしたためと言われています。大田南畝は成績優秀でしたが、当時から市中に出没し幕政を批判する様な戯作者でもあり文人で狂歌師であり問題児でもありました。寛政の改革を批判した狂歌「世の中に蚊ほどうるさきものはなしぶんぶといひて夜もねられず」の作者とも言われ、彼の評価に関して学業成績優先の湯島聖堂の儒者と幕臣の不穏分子を取り締まる目付との意見が大きく割れて纏まりませんでした。そのために試験無効としたと言われています。甲科は一番難しい試験で現在で言えば超エリートを選ぶ国家試験の総合職試験、乙科は一般職試験でしょうか。丙科は次の試験で甲科か乙科の試験への受験資格を貰えると言う事でしょう。その後数年おきに幕府が瓦解するまで続けられました。
学問吟味は特にお目見え以下の御家人が能力次第で旗本や幕府の高級官僚になる道を開いたのです。幕末の混乱期には御家人上がりの優秀な旗本達が幕府を存続させるために懸命の努力をしたのです。また勘定奉行だった小栗上野介の様に三河以来の譜代旗本でも幕末の混乱の中で広く未来を見据えて幕府の枠にとらわれず、将来の日本へ向けて横須賀造船所や横須賀製鉄所等を作った旗本の高級官僚もいました。この時にオランダから輸入(1865年製造)されたスチームハンマーはプレス容量は0.5トンのスチーム・ハンマーは江戸時代末期の慶応元年(1865年)から昭和46年(1971年)年まで、3トンのスチームハンマーは平成8年(1996年)まで稼働していました。日本はこのスチームハンマーで工業生産に必要な機械工作機や備品を作り続ける事が出来たのです。幕末の幕府の逸材だった小栗上野介のお陰で日本は西南戦争、日清・日露戦争を戦い、第2次世界大戦後の日本の経済発展の基礎を築いたのです。この時に小栗上野介に協力をして横須賀造船所の建設に努力したのが御殿医上がりの旗本だった栗本鋤雲(外国奉行・勘定奉行を歴任)でした。
P.S.
☆対豪戦略、見直しか 新首相、ターンブル氏は「親中派」
官邸筋も把握していなかったようです。とんでもない事で、官邸の大ドジとも言えるでしょう。日本の安保上も大きなミスとも言えます。オーストラリアはもともと中国への資源の輸出が経済に大きいウェートを占めていました。そこで対中強硬派のアボット首相が誕生して安倍の朋友として安倍の対中包囲網を築く最大の協力者だったのです。そのためにアボット首相は経済重視から中国にも気を使い、一方で安倍にもアメリカにも協力をしてきたのですが、それが根底から覆される可能性が非常に高いのです。オーストラリアはターンブル首相の誕生で外交政策を大転換するでしょう。安倍の狙っていた米日印豪の連携は根底から覆されるか、形式だけとなるでしょう。安倍は孤立します。オーストラリアの情勢を把握できなかった日本外交の大失敗として日本外交史に残るでしょう。そのくらい大きな出来事です。愚かな対中包囲網は即刻止めるべきです。安倍が気持ち良く海外旅行をしていままで切ってきた約束手形はいずれ国民が支払う事になりますが、安倍を総理にした国民が愚かだったのですから仕方がないでしょう。官邸は顔色を変えているでしょう。安倍政権の外交政策の基本が破綻したのです。日本のマスコミは気を使ってあまり書いていませんが、いずれ大きく書かざろうえない大きな問題となります。
☆中国のサイバー攻撃は容認できない、オバマ大統領が明言=経済制裁の可能性も―米国
中国のサイバー攻撃はスパイと言うよりも窃盗です。中国政府に取り締まれと言っているのでしょうが、中国政府の公認で組織的に行われているのでしょう。しかし中国が言う事を聞かないからぶん殴るのでしょうか?この様なルールを無視する人物は私達の周辺に沢山います。安倍もそうです。いちいちそれらの人の頭をぶん殴って良いものなのでしょうか?
☆アベノミクス、潜在成長率低下という「不都合な真実」 政府前提GDPを大きく下回る
安倍政権の経済金融政策は袋小路に入り込んで八方塞なのです。マスコミがはっきりと書かないだけです。今後ますます弱者の切り捨てが進むでしょう。このまま安倍政権が続くと冗談の話ではなくなります。社会的な弱者は切り捨てられ、年寄りは早く死んでくれと言う事になります。生活保護ももっと審査を厳しくして、もっと広く、本当の社会的な弱者へ生活保護を行き渡らせるようにしないといけないでしょう。そして生活保護費と年金支給額との調整も必要となるでしょう。このままでは年金は大幅に減額されます。年金制度を維持するためには年金は支給年を引き上げて支給金額を大幅カットしないと無理です。基金が官製相場作りのための株投資で大赤字です。このままでは年金制度自体が維持できなくなります。
☆日銀が政策据え置き、海外・輸出・生産を下方修正 新興国減速
量的・質的金融緩和(QQE)の継続を8対1の賛成多数で決定。唯一の反対が木内登英審議委員だけとは!木内登英審議委員は緩和拡大について、効果はコストや副作用に見合わないとかねてから述べています。野村総研・野村証券出身で日銀審議委員の中で唯一黒田総裁たちの意見に依終始一貫して反対をしています。黒田総裁たちは、日銀が積極的に国債を買い入れている限り、国債利回りは制御不能にはなりにくいとの意見です。私はその考え方は甘いと思います。私は木内氏の意見と同意見です。黒田総裁自身も2月の経済諮問会議で安倍の面前で日銀が国債を買い続ける事に疑念を表明しています。もっとも議事録からあまりにも刺激的過ぎると削除されています。
☆維新、「内閣不信任案」が決める大阪系の運命 「反対」をすれば除名処分で追放される (3ページです)
本当に馬鹿らしい話ですね!しかし当人たちにとっては失業問題なのです。「猿は木から落ちてもサルだが、政治家は木から落ちるとただの人」と自民党の元副総裁大野伴睦の名言です。政治家を職業だと勘違いしているのです。政治家を職業にしてはいけないのです。政治家は他に生業を持ち、ボランティアの精神であるべきです。
☆財務省よ、国民を欺くな たった4000円の「還付金」で増税の痛みが軽減できるワケがない! (4ページです)
物事の本質を突く町田徹氏の記事です。そもそも消費税10%に本当になるのかも分からないはずなのです。しかし安倍政権は何でもありの好き勝手をする滅茶苦茶政権です!