横浜 大さん橋の夕景2 |
横浜の開港は安政五年六月十九日(1858年7月29日)に江戸幕府とアメリカ合衆国の間で結ばれた日米修好通商条約と呼ばれる通商条約によって開港しました。幕府は同様の条約をイギリス・フランス・オランダ・ロシアとも結びました。安政五ヶ国条約とも言います。この条約の第3条には神奈川、長崎、新潟、兵庫、江戸、大阪の開港が約束されていますが、真っ先に開港されたのは神奈川ではなく、横浜が開港されました。今はどちらも神奈川県横浜市ですが、当時は湾を向かい合った別々の土地でした。幕府は神奈川の開港を最初は約束をしました。神奈川の方が港としては優れていたのですが、当時の神奈川は東海道五十三次の3番目の宿場で、神奈川湊がありました。神奈川湊は鎌倉時代から江戸湾内の主要湊(港)でした。
江戸時代には神奈川宿と神奈川湊には幕府は神奈川陣屋を置き付近を直接支配をしました。神奈川は昔から交通の要衝でだったのです。幕府は外国人と日本人の接触を好まず、そのために東海道から離れた、当時は寒村だった横浜を開港する事にしたのです。幕府の目的は外国人の隔離政策でした。それを見抜いた五カ国は強く抗議をしましたが幕府は「横浜は神奈川の一部である」とし、強引に押し切りました。また幕府は外国人を隔離する事で攘夷派浪人の外国人襲撃への対策としたのです。幕府は3ヶ月と言う短時間で横浜村を国際都市に変えたのです。幕府は意図的に横浜へ両替商三井を出店させ、合わせて多くの商人達を誘致して街づくりを先に始めたのです。日本人の商人たちが集まる事で、香港に本社のある巨大商社のジャーディン・マセソン商会が「英一番館」として横浜に支店を開きました。明治維新の大功労者の一人であるトーマス・グラバーが長崎に設立した「グラバー商会」は、ジャーディン・マセソン商会の代理店でした。やがて当初は横浜開港を反対をしていた各国領事達は横浜の繁盛を見て徐々に横浜に領事館を置きだしたのです。幕末の幕府も優秀な若手官僚を使って諸外国と駆け引きをしていたのです。
新古今集より西行のうた
心なき 身にもあはれは 知られけり
鴫たつ沢の 秋の夕暮
(意)心なき我が身にも、哀れ深い趣は知られるのだった。鴫が飛び立つ沢の秋の夕暮。
「西行物語」では東国旅行の際、相模国で詠まれた歌としているが、制作年も詳しい制作事情なども不明です。江戸時代初期の 1664 年に小田原の崇雪(そうせつ)という人物が、西行のこの歌にちなみ、昔の沢らしい面影を残す景色の良い神奈川県大磯町に鴫立沢の標石を建てました。この歌は西行が2回奥州の平泉の藤原秀衡を訪ねた時の和歌と言われています。1回目か2回目は分かりませんが、歌の枯れ具合から2回目の旅の途中に詠まれたものだと思います。大磯から藤沢・江の島のあたりの間で詠んだ和歌でしょう。西行の2回目の奥州平泉への旅は69歳の時でした。平氏の焼き打ちにより消滅した東大寺の大仏再建立のため勧進元の高僧重源(ちょうげん)に頼まれて、奥州平泉の藤原秀衡から砂金を送ってもらう勧進の旅でした。奥州の覇者藤原秀衡と西行は同族(藤原秀郷の子孫)でした。旅の途中に鎌倉で源頼朝と一晩語り明かしました。頼朝に旅の趣旨を説明し了解を得るためだったといわれています。頼朝は元北面の武士だった西行に歌道や弓馬についていろいろ尋ねたとされています。西行は歌についてはほとんど話さず流鏑馬については、夜遅くまで語り合ったと言われています。藤原秀衡は西行からの依頼を受けると直ちに砂金を鎌倉の源頼朝へ送り、頼朝はその砂金を後白河院に送りました。
P.S.
☆南シナ海の対立がマレーシアに強いる「綱渡り」
いまマレーシアは国内政治が揺れています。歴代政権の公然たる賄賂や政治家が税金を懐に入れる事が公然と行われているのです。ナジブ現首相にもマレーシア政府系ファンドから巨額資金が首相サイドに流れた事や副首相時代に護衛の警察官によるモンゴル人モデルの殺人事件も暴かれています。国内が纏まっていない状態で中国からの圧力をかけられているマレーシアは大変な事になるでしょう。
☆「嘘つき!」…記者会見場で叫ぶ台湾人ジャーナリスト 馬英九総統は目線合わさず (2ページです)
次期総統選挙では野党の中国と距離を置く最大野党の民主進歩党の蔡英文主席が当選をしそうなので、習近平としては急いで国民党との既成事実を作りたかったのでしょう。国民党の負け方次第では一気に台湾独立論争に火が付くでしょう。習近平としては政治的に放置できない事態となり、中国の国内問題として人民解放軍の台湾侵攻作戦を急ぐ事になるでしょう。アメリカは一つの中国と言っている手前、困った立場になります。アメリカは過去も現在も台湾の台湾海峡に在る台湾の支配に及ぶ金門・馬祖島や大陳島に関して見解を意図的に曖昧にしてきました。一方で中国共産党の主張は「世界には只一つの中国しか存在せず、台湾は中国の不可分の一部である。中華人民共和国は全中国人民を代表する唯一の合法政府であり、このことは国際連合および世界各国の普遍的な承認を得ている。国家主権を守り、国家の統一を実現するために、中国政府が国際的な事務処理において台湾との関係の問題を取り扱う場合には、必ず一つの中国の原則を堅持し、また一貫して台湾同胞の利益を擁護してきた。」との公式コメントで明確にしています。もし台湾が独立に向けて走り出すとアメリカは台湾の東側の太平洋側から台湾を援助するのでしょうか?難しいところです。中国の人民解放軍は潜水艦と航空母艦を中心とする遠洋航海能力を持った艦隊の整備を進めています。台湾海峡からの上陸用舟艇による陸軍の台湾侵攻と太平洋側からの航空母艦発進の航空機による攻撃を考えているのでしょう。台湾海峡からの人民解放軍の上陸作戦は1949年に一度試みた事があります。旧帝国陸軍の根本中将(元北支那方面軍司令官)達が国民党軍に協力をして、海峡を渡り上陸をしてきた人民解放軍を台湾海峡に追い落としたのです。「古寧頭(こねいとう)の戦い」と呼ばれる戦闘でした。
☆中国の10月貿易総額、12%減 8カ月連続マイナス
中国の景気減速はどんどん酷くなっていますね。世界経済への影響が心配です。
☆中国、ついに脱税し放題の富裕層へ「財産没収」の鉄拳? (2ページです)
これは酷い話と思ったら間違いです。そもそも中華人民共和国は資本主義ではないのです。社会主義・共産主義国家では私有財産は没収するのが正解なのでしょう。しかし大金持ちから小金持ちまで、みんなが中国から逃げ出すでしょうね。逃げ出さない様に縛り付けるのでしょうが、それは無理です。
☆年内実施派と見送り派が大激論 米国の利上げはあるかないか
日本は官製相場で浮かれていると大変な事になります。安全第一!
☆同志社大学長に松岡敬氏 安保法賛成の村田氏破る
戦争法案反対派には朗報でしょう!
☆内田樹、「僕が天皇に敬意を寄せるわけ」 聞く人にちゃんと伝わる言葉を語っている (3ページです)
いまや今上天皇は護憲のシンボルでしょう。平和を守る尊さを国民に知らしめていると思います。一方の安倍は今上天皇の言葉を頭から無視しています。まさに不忠の臣の代表例が安倍です。それでいて天皇陛下万歳と叫ぶ極右馬鹿です!平和憲法があったからこそ朝鮮戦争やベトナム戦争に参戦しないで済んだのです。そしてその後の日本の平和は保たれたのです。平和憲法は水戸黄門の葵の印篭と同じで、日本国憲法で禁じられているので日本は戦争に参加できないと言えば、どの国も文句は言えないのです。改憲もしないで違憲な方法で日本の自衛隊を戦争に使おうとしているのが安倍達日本会議です。いまやアメリカ軍の不足を補う戦闘部隊として自衛隊はアメリカに期待をされているのです。
☆吉田照美氏「常識を判断する尺度が安倍政権に壊されている」 (9ページです)
15:30からTBSの「荒川強啓ディキャッチ」と文化放送で「吉田照美飛べサル」の二つの番組が同時に放送されています。番組の内容は両方とも政治から経済芸能ネタまで幅が広いのですが、二人のパーソナリティにより非常に自由な発言が目立ちます。大手マスコミでは安倍政権になって絶対にいまは言えなくなっている事をズバリと発言をしています。いずれ彼等の言論が封じられると本当の日本の危機になるでしょう。いまのところラジオまでは安倍政権の干渉は至っていないようです。