上野東照宮 ぼたん苑の冬牡丹3 |
晩唐の詩人の皮日休(ひじっきゅう)の漢詩。
「牡丹」
落尽残紅始吐芳 ざんこうをおちつくして はじめてほうをはく
佳名喚作百花王 かめいよびてなす ひゃっかのおう
競誇天下無双艶 きそいほこる てんかむそうのえん
独占人間第一香 ひとりしむ じんかんだいいちのこう
(意)
花が散りつくしてからやっと咲き始める。
その名は百花の王とよばれる。
天下に並ぶことのない無双のあでやかさを競い誇る。
この世の中で一番の香を放っている。
皮日休は貧しい家に生れましたが唐の科挙に受かり進士として官僚の道を歩みましたが唐末の大反乱黄巣の乱で黄巣軍に捕まり黄巣政府に入りましたが、疑われて殺されたと言われていますが最後についてはよくわかっていません。
☆松本人志とは真逆! マツコ・デラックスがネットカフェ難民問題に「もっと公的サポートを」と真摯な提案 (3ページです)
安倍や松本人志のような人たちは日本を昔の日本様な規律ある国にしたいのでしょう。それは画一的に人格を無視をした権力者に都合の良い自由の無い国なのです。人それぞれ生き方がみんな違うのです。マツコ・デラックスは良い事を言います。安倍や松本人志はゲスなのでしょう!
☆議員は秘書の雇用実態を知って改革語れ
私は日本人も働き方を変えていかなければいけないと思います。誰もが同じ考えでしょう。しかし安倍達の考えている「働き方改革」は真逆なのです。誰が考えても残業代の切り捨てになる事は明らかで、逆に過労死が増える事になるでしょう。私も社会人になったころは残業200時間以上は普通でした。私も最初の職場は地獄のような職場でした。毎日終電に間に合うようにタクシーで全員が乗り合わせて東京駅まで走ることの繰り返しで、土曜日だけは夜の8時頃に帰れました。日曜日も月に1回は出社をしないといけないところでした。心も身体も丈夫でないと務まらない職場でした。残業代なんて100時間程度で打ち切りでした。当時はみんな身体も精神も丈夫だったのでしょう、だれも自殺した人はいませんでした。それが当時のエコノミックアニマルと呼ばれた日本人だったのでしょう。
☆中国共産党、国家主席任期撤廃を提案 習近平の独裁長期化へ
習近平は毛沢東になりたいのでしょう。薄熙来も毛沢東にならんとして習近平に阻まれ、現在は無期懲役でどこかに軟禁をされているのでしょう。薄熙来は習近平の幼友達と言うより兄貴分でした。中国共産党中央政治局委員で重慶市党委書記となったのですが、党中央(胡錦涛)の行き過ぎた市場経済を追求した改革の結果、平等・公平という社会主義の本質が失われたと批判し、毛沢東時代への郷愁を前面に出した事により、胡錦涛主席と温家宝総理の反発を買いました。党の中央では薄熙来の施策を重慶方式として高く評価をしたのです。習近平も一時は高く薄熙来を支持をしていたのですが、胡錦涛体制に協力をする事によって党内での立場を強化しようとした習近平により胡錦涛+温家宝+習近平の協力で薄熙来を失脚に追いやりました。これにより習近平にとって目の上の瘤だった最大のライバルだった薄熙来は習近平によって失脚させられ政治生命が終わったのです。中国の政治裁判はドラマの様に筋書きが出来ているのですが、裁判の過程では薄熙来は最後まで罪を認めず、逆に検察側の証人から贈収賄事件に無関係であるとの証言を自ら導き出しました。しかし結論が先にあっての裁判なのです。ドラマの様な話です。
☆オリンパス、社員弁護士が会社を訴えた理由 中国での贈賄疑惑に端を発した異例の訴訟 (3ページです)
社内に弁護士資格を持った社員を持つ企業が増えてきました。弁護士大量生産のためなのでしょう。社内で法律問題を処理が出来てしまうので弁護士不況の原因の一つなのです。しかしこのオリンパスのトラブルは今後は大きくなるでしょう。場合によっては経営陣の総入れ替えもあり得るでしょう。刑事罰の可能性すらあります。何か難しい時代になってきました。
☆「クーデター」2・26事件を経験した若者達の「それぞれの回想」 「あれがもし成功していれば…」 (3ページです)
不本意にも決起兵の一人になった私の父も同じような事を言っていました。もし成功をしていたら第2次世界大戦は防げたかもしれないのです。父が麻布3連隊の初年兵で毎晩下士官室で下士官たちに北一輝の書いた「日本改造法案大綱」を講義をしていました。下士官たちと話していると下士官達が安藤・野中大尉達に心服をしていたのが良く分かったそうです。当時の下士官クラスは軍隊での命令を伝達したりするのに必要最小限の漢字しか書けない人が多く、難し言葉の意味が理解できなかったので東京帝大法学部卒業の父が毎晩下士官室に呼び出されたのです。下士官達は父が高等文官試験の司法科と行政科の合格者で学生時代に左翼活動で2回の逮捕歴があることを承知をしていたそうです。安藤大尉や野中大尉が部下たちに書いた個人的な手紙も難しい漢字や言葉があったので読み解いて上げたそうです。その手紙は心がこもっていて両大尉の下士官やその家族への心が良く分かる手紙だったそうです。麻布3連隊の決起した幹部士官たちは全員が秩父宮が麻布3連隊の新任士官の指導士官だった時から秩父宮の薫陶を受けてきた士官たちでした。彼等は自分達の給料から下士官たちのお金に困っている部下の家族に内緒で資金援助をし、家族の生活まで相談に乗っていたそうです。下士官たちは貧しい農家出身者がほとんどで、姉妹たちが家族のために吉原の遊郭で働いている人達がいたそうで、貧しい農民を豊かにしたいと言う事が決起をした士官と下士官の決起の最大の原因だったと言っていました。皇道派の若手士官達は秩父宮を中心にして日本は満州を守り中国と仲良くやって行こうと考えたのです。秩父宮は終始一貫して陸軍が中国に戦線を拡大することに反対をしていました。
たぶん統制派の東條英機たちは陸軍の秘密資金のアヘンビジネスを考えて中国に手を出したのでしょう。そのための熱河作戦なのです。熱河地方は良質のアヘンの名産地でした。名目は何であれ目的はアヘンの産地を手に入れる事だったのでしょう。東条英機は関東軍憲兵隊司令官から関東軍参謀長となりました。次に陸軍次官となり陸軍大臣となりました。その累進の軍資金はアヘンから作られたお金でしょう。東條英機たちが大政翼賛会を作る時の巨額な軍資金は間違いなく安倍の祖父の岸信介が満州国の日本人トップの官僚として君臨をしてアヘンビジネスで作った秘密資金だったのでしょう。満州国で作ったアヘンによる資金は巨額だったと思われますが極秘事項で現在は全てが闇に葬り去られています。岸信介は東條英機によって満州から日本に呼び戻され、東條英機と二人三脚で戦争への道を走ったのです。開戦の時は商工大臣で主要閣僚でした。しかしオカシなことに敗戦後に巣鴨に収監されましたが、なぜか戦犯指名はされずアメリカの将来の利益のために戦犯として死刑にされずに数ヶ月で保釈となりました。理由は敗戦の色が濃くなってきたので東條を引きずり下ろすことに参画をしたためと理由を付けられています。実際は機を見るに敏なだけだったのでしょう。敗戦となると戦犯として裁かれると考えてのアリバイ作りでしょう。安倍のもう一人の祖父の安倍寛は軍事政権と戦争に反対を主張をして大政翼賛会非公認で衆議院選挙に出馬をして当選をしてきた反戦の希有な政治家でした。
陸軍の統制派は「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」と言われた陸軍軍務局長永田鉄山少将を中心とする派閥でした。永田少将が相沢中佐に陸軍省内で斬殺されなければ東條は陸軍大臣にも総理にもなれなかったでしょう。統制派は陸軍大学を卒業したエリート集団で、皇道派は陸軍大学卒業者はほとんどいませんでした。統制派でも永田少将は東條たちとは考え方が違っていて戦争に対して出来るだけ不拡大の考え方だったとする研究もあります。永田少将が殺されなければ関東軍の暴走を満州事変だけで防いでいたでしょう。
2.26事件で決起をした皇道派将校の「昭和維新論」の背景には、国家社会主義者北一輝の「日本改造法案大綱」などの革命思想があったことは間違いが無いでしょう。北一輝の革命論は「天皇制下の社会主義革命」なのです。その概要は
1.天皇の名による軍事クーデター
2.三年間の憲法停止
3.戒厳令政権
4.貴族制度など特権制度の廃止
5.言論の自由化
6.私有財産の保有上限設定
7.地主小作制度の改善(自作農創設)
8.土地の国有化
9.労働者の待遇改善
10.児童の教育権保全
でした。どれも間違いではなく当時としては革新的で現在でも十分に通用をする正しい考え方でしょう。まさに敗戦によりGHQが行った占領政策そのものです!GHQの占領政策の先取りとも言える考え方です。
さて、現代の日本を見てい見ると安倍政権は三権分立という民主主義のルールを無視しています。行政を立法と司法の上に置いているのです。最高裁判事、内閣法制局長官、日銀総裁、審議会メンバーなどの人事は安倍友人事なのです。閣僚になるためには極右の戦前の日本に戻したいと考えている日本会議やその関連団体のメンバーでなければなれないのです。安倍政権になって内閣府への権力集中も進みました。高級官僚の人事権は内閣人事局が握り、首相と側近の好みで決められるようになったのです。官僚は忖度で仕事をしなければいけない時代となっているのです。また嘘で固めて選挙公約では一言も言わなかったことを国民の支持を受けたと「やり放題」なのです。安倍政権の構造と体質は2.26事件以降の、軍部独裁の構造と体質が非常に似ていると言えるでしょう。以前から軍靴の足音が聞こえていると私が言っている事はこれなのです。
☆天皇を憎悪する人々
安倍を中心とする極右の日本会議の人達の考え方は私には理解が不能です。そもそも日本には天皇の退位という言葉は奈良時代から現在まで天皇制度には存在をしなかったはずで、すべて譲位と言われてきました。わざわざ譲位と言わずに退位と言うことは何なのでしょうか?やはり今上天皇を気に入らないのでしょうね!右が今上天皇を気に入らないと左が今上天皇を気に入るのです。日本は本当に面白いですね。私は今上天皇は安倍のような極右の不忠の政治家から日本の民主主義を必死で守ろうとしているとしか見えません。そのために戦争で日本が被害を与えた国々を訪れてきたのでしょう。また戦地で亡くなった日本の国民の慰霊に訪れているのでしょう。また震災などで被災をした日本の地方を訪問をしてきたのでしょう。安倍のように格好を付けてアリバイ作りのような訪問とはまったく違います。天皇や皇后の行動は心がこもっているのです。私のように天皇制度に少々疑問を持っている人の心にも、天皇と皇后のお気持ちがストンと入ってくるのです。譲ると言う言葉が憲法に反するというのであれば安倍の閣議決定で憲法をねじ曲げていることは一体何なのでしょうか?あれこそ憲法違反でしょう!私は違っていますか?安倍達は天皇は黙って皇居の中で天照大神を祀っていれば良いと言うことなのでしょう。勝手に皇居外に出るなと言うのでしょう。日本を明治時代の日本に戻す活動に対して邪魔をするなと言うことなのでしょう。
☆安倍昭恵氏が国有地貸付に関与していたと認める安倍総理
元々安倍の日本語は日本語ではありません。意味不明な言葉の羅列なのです。安倍本人は嘘をついているつもりは無いのかも知れませんが、嘘で固められているのです。病気でしょう!