7月21日の茨城県古河市の古河総合公園の大賀蓮です。カメラはソニーα7RⅢと24-105mm&100-400mmです。
茨城県の古河市は中世の歴史的には古河公方が御所を構えたところです。その後古河公方は御所から1Kmほど北方の下河辺氏の持ち城だった古河城に移りました。古河城は渡瀬川を天然のお濠にした城でした。御所跡は館として残しました。それが現在の古河総合公園です。古河公方の起こりは、1338年京都に室町幕府を開いた将軍足利尊氏が関東地方10ヶ国を治めるために、子の基氏を将軍の代理として鎌倉府の長官である鎌倉公方として派遣しました。その後、鎌倉公方4代持氏が京都の将軍家と対立、1439年6代将軍義教と戦いましたが鎌倉公方は破れ(永享の乱)、持氏は自害させられました。その後、生き残った持氏の子成氏が許されて鎌倉公方に就任しましたが、再び幕府に反旗を掲げ、1445年室町幕府側(関東管領上杉氏)の攻撃により鎌倉から追い出され古河の地に本拠を移したことにより古河公方と称しました。それ以来130年余りにわたって古河公方と称し、東国における鎌倉公方の嫡流として関東諸豪族から認められていた存在でした。そのため関東一円の政治的に重要な位置を占めてきました。当時の関東は室町幕府・堀越公方(幕府から送り込まれた公方で鎌倉へ入れず伊豆国の堀越に館を構える)に協力をする関東管領山内上杉・扇谷上杉氏の勢力範囲は上野・武蔵・相模・伊豆が勢力範囲でした。堀越公方家は後に北条早雲が今川家の援兵を受けて攻め滅ぼし、伊豆国は北条早雲が支配をする最初の領国となりました。古河公方は下野・常陸・下総・上総・安房(鎌倉時代から続く在地大豪族)を勢力範囲として両勢力は対立をして争い関東大乱と言われていました。古河は室町幕府側の上杉氏の支配下の武蔵国に接していましたが、交通の要衝でもあり、下野国の大豪族だった小山氏と小山氏の一族で古河とその南方である現在の埼玉県の南部最東端に位置する三郷地域までを勢力範囲とする古河公方に忠誠を誓った大豪族の下河辺氏が、そして下総国の大豪族だった小山氏の一族の結城氏が控えていたので上杉方は攻め込む事が難しく割合安全でした。小山氏は鎮守府将軍藤原秀郷の末裔で一族が非常に栄えていました。
永享の乱後、鎌倉府(鎌倉公方)の再興で室町幕府は大失敗をしたのです。そうして起きたのが享徳の乱(きょうとくのらん)で応仁乱と関連があるのです。関東のあっちこっちの大名がどさくさに紛れてお家騒動が起き、大規模な戦は収まったけど、関東は小国乱立状態が定着したまま戦国の序章と言われる状態となったのです。これが関東大乱と呼ばれたのです。とにかく関係者が多いのでこんがらがりやすいのですが、この関東大乱の中で味方同士・同族同士で争ったり敵方と手を結んだり、複雑怪奇な動きが続き、永享の乱・享徳の乱が終わっても続きました。豊臣秀吉の小田原攻めが終わるまで、この混乱は続きました。豊臣秀吉は名門の古河公方の跡取り娘に古河公方家の分家である小弓公方の足利国朝を娶わせ下野国(栃木県)喜連川(さくら市)に領地を与えました。その後、徳川家康により喜連川で喜連川藩を立藩し幕末まで続きました。喜連川藩は4500石の禄高でしたが10万石の大名格並の格式でした。禄高が低いのに家格が高いために喜連川藩は常に財政的に困窮していました。そのため参勤交代で喜連川を通る東北諸藩を食い物にするしか赤字の藩財政を維持する方法がなく、参勤交代の大名が喜連川を通る時は藩主自らが宿場の前に立ち出迎えました。通って行く大名は必ず挨拶として喜連川藩主に物品を贈る習わしでした。これが喜連川藩の大事な収入でした。仙台藩伊達家は喜連川藩の要求があまりにも多すぎたために喜連川を避けて江戸に向かったのですが、喜連川藩主は江戸城まで追いかけていき殿中で嫌みを散々言ったと言われています。何か悲しいお話ですね!また喜連川藩はお家騒動でも大きな問題を起こしました。お家騒動も立藩当時の古河公方の家付き娘の古河派と、婿の小弓公方の小弓派との家臣団内部の主導権争いが原因でした。元々仲が悪かった両家でしたが豊臣秀吉が強引に両家を一つにしたのです。古河には現在も古河公方ゆかりの寺院や史跡が残っており、特に古河公方足利氏の古河城の別館であった「公方館跡」や古河公方開基の「徳源院跡」一帯は、「古河総合公園」として、自然や史跡探訪の地となっています。
万葉集から詠み人知らず
白たへの 衣の袖を 麻久良我(まくらが)よ
海人漕ぎ来見ゆ 波たつなゆめ
(意)衣の袖をまくり、麻久良我を通って恋しい海人が漕いで来るのが見える。波よ決して立つな
麻久良我は古代の古河の呼び名でした。古河の渡しで詠われたのでしょう。この古河の渡しには古代から身体を売る女性達がいたようで、多分それらの女性が客としての男性に詠いかけたのでしょう。
P.S.
困った時代になっているのでしょう。第2次世界大戦の始まる前と同じ状況になっているのです。戦争によって多くの人が死に、そして世界がご破算となり、新しい時代が生まれるのでしょう。
文政権の動きは韓国の首を絞めている事に韓国国民は気が付いていないのでしょうか?そろそろ気が付いても良い頃なのですが。「馬鹿につける薬は無い」と言います。意味は病気は薬で治るかもしれないが、愚かな者には付ける薬はないので、どうすることも出来ないということです。もう一つの意味もあります。愚かな者でも自分自身を省みて改めればよくなるということです。
豪シドニー大学アメリカ研究センターのレポートは正しいでしょう。特にトランプの出現でそのスピードが速まったのでしょう。まだ10年ほどはアメリカの優位は揺るがないと思ったのですが、日本も独自外交をしないと生き残れないかも知れません。独自外交が出来なければ、アメリカの51番目の州となり日本の若者をアメリの戦争に協力をさせるかでしょう。私のように70歳を過ぎた人達よりも若い人達がどう考えるかです。間違いなくアメリカの空母群はハワイとグアムの線から西には入れなくなるでしょう。中国の弾道ミサイルの射程内となり、西太平洋での活動は出来なくなるでしょう。つまり日本はいずれにしても独自の専守防衛に入ると言うことです。アメリカはいずれ近いうちに頼りに出来なくなるのです。韓国を味方にしておかないと日本の防衛は不可能になります。かなり長期的に日本の未来を考えないと日本の独立は守れなくなるかも知れません。
ジブラルタルはイギリスの植民地で非常に重要な場所にあります。イギリスはトランプ政権からの差し押さえの依頼を断ったのでしょう。トランプはイギリス首相のジョンソンの奴めと腹を立てているでしょう。イランの問題に関してはイギリスもEUと同一歩調でしょう。トランプの命令は通用をしません。トランプは自分の我が儘で世界平和と経済の安定に逆行をしているのです。とても世界の主導者とは思えない行動なのです。
イスラエルのネタニエフ首相はイスラエルの検察によって贈収賄で逮捕寸前まで行きました。しかしトランプの援助で総選挙で勝利を掴むことが出来て逮捕を免れたのです。ネタニエフ首相は恩人のトランプ再選に全てを賭けたのでしょう。まさに背水の陣です。トランプが再選出来なければネタニエフ首相は選挙で負けて検察によって逮捕・立件をされるでしょう。
幾らトランプが滅茶苦茶なことを言ってもマーケットは冷静に反応するようになっているのです。トランプの嘘や大言壮語はもう通用しないのです。日本もNYも冷静さを取り戻してきていますが、何時まで続くか、先は全く分かりません。景気は世界的に悪化をしていくことは間違いが無いでしょう。誰がババ抜きのババを引くかと言う事なのでしょう。
昭和天皇拝謁記です。面白い資料です。是非読んでみたい資料です。もう一つの資料で文庫本になっている昭和天皇独白録は週末に再読するつもりです。抜粋は何度か読んでいますが全文はまだ読んでいませんでした。