10月23日の奥日光の光徳沼です。カメラはソニーα7RⅢと24-105mmです。
新古今集から藤原頼実(前太政大臣)のうた
なべて世の 惜しさにそへて 惜しむかな
秋より後の 秋の限りを
(意)普通の年の名残惜しさに加えて惜しむよ、いつもの秋の後の秋、閏九月の最後の日の今日を。
詞書きに「閏九月尽の心を」とあります。「秋よりのちの秋」とは九月に終わる普通の秋の後にある閏九月の事です。
旧暦は、月の満ち欠けにもとづいているので、1ヶ月が約29.5日となり12ヶ月で約354日になります。1年は29.5日×12ヶ月=354日あまりになりますので、365日に11日ほど足りません。だんだん季節が狂ってきますので、何年かたつと閏月を置いて元へ戻します。閏九月ということは、九月の次に閏九月が置かれ、その次が十月になります。ですから、閏月のある年は一年が13ヶ月になります。
P.S.
前夜祭で都内の一流ホテルで超高価なお寿司屋の久兵衛が出たパーティーが5千円会費で行われたのです。どうせ安倍の後援会も関係書類は廃棄していると答えるのでしょう。余程ヤバイ事がまだあるのでしょう。政治資金規正法に抵触どころの話では無いのでしょう。国会議員としての進退に関わる話が隠されているのでしょうか。
確かに私も招待された褒賞を受けた妻のお供でカメラを持って新宿御苑の桜を見る会に2017年4月に行ってきました。芸能人がウロウロしていて来場者と記念撮影をしていました。来場者への無料サービスの意味があるのでしょう。とにかく多く芸能人が来ていました。私はタダ酒の獺祭を3杯飲んで普段絶対に見られない人のいない新宿御苑の八重桜を撮ってきました。多くの私服の警察官は人のいない場所の桜の陰に隠れていました。大変ですねと声を掛けると仕事ですからと言っていました。私の妻は昭恵夫人のすぐそばにいたそうですが妻曰く傍で見ていて彼女は狂っていると言っていました。仕事柄良く分かるのでしょう。安倍は11月解散しか生き残る道はないでしょう。12月投票であれば何とか経済の失敗を取り繕えるでしょうが、来年になれば解散どころの景気ではなくなるでしょう。しかし桜を見る会解散は出来ないでしょう。
いままで何度も経営危機がありましたが乗り越えてきました。さて今度はいままでよりも深刻のように感じます。そこでyahooとlineの経営統合という話が飛び込んできたのです。
☆ヤフー LINEと経営統合に向け交渉アマゾンに対抗して寡占を狙ってと言う事でしょう。
バブル崩壊の寸前には意味不明な高値を更新を続けるのです。ババ抜きです。誰がババを掴むか?
トランプとしてはテイラー代理大使(駐ウクライナ)とケント国務副次官補(欧州担当)の証言は嘘だと言うしか無いでしょう。
トランプの驚くべき馬鹿さ加減に唖然とさせられます。
文大統領の思惑はことごとくはズレています。文政権内の親北朝鮮派は逆に喜んでいるでしょう。アメリカが強硬姿勢になればなるほど韓国国民の反米感情が増えると考えているのでしょう。駐韓米軍が撤退をしてくれれば大喜びをするでしょう。文大統領も本質的に統一朝鮮を目指しているのです。しかし文大統領はもう少し穏やかに統一朝鮮を作りたかったのでしょう。文大統領は極左のなかでマタサキ状態なのでしょう。
韓国の中央日報の記事です。雪隠詰め状態になっている文政権の韓国です。
今夜から明日にかけて皇室の重大行事と言われる大嘗祭が行われます。東御苑に大嘗祭が行われる大嘗宮が作られているそうです。皇位継承を八百万神と神武天皇へ報告する儀式のようです。この事に関して秋篠宮は以前に疑義を出していて皇室としての共通意見とも思われるのです。秋篠宮は2018年11月30日に「国費で賄うことが適当かどうか、これは平成のときの大嘗祭(だいじょうさい)のときにもそうすべきではないという立場だったわけですけれども、そのころはうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですけれども。今回も結局、そのときを踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ、私として、やはりこのすっきりしない感じというのは、今でも持っています」と発言をしています。安倍政権は今回は完全に無視をして大々的な国家行事としたいのでしょう。上皇が天皇に即位した時は大々的に行われました。今回は多少規模を縮小をしたと言われています。私も大嘗祭は明らかに皇室の行事であり神道のお祀りであり国費で賄う物では無いものと考えます。難し言い方をすれば憲法違反でもあると思います。日本には憲法裁判所が無いので裁ける場所が無いのです。
そもそも大嘗祭はいつ頃から行われたのかはハッキリしていません。間違いが無いのは江戸時代後期の第119代光格天皇が古式の伝統と言うことで復活させたのでしょう。しかし本当にそんな事が歴代の天皇制のなかで行われてきたかというと非常に疑問と言うより有り得ない話なのです。そもそも天皇と言う呼称は壬申の乱で近江朝廷から政権を簒奪したとも見える第40代天武天皇(大海人皇子)の時代から使われ始め、第60代醍醐天皇あるいは第62代村上天皇の時代には使われなくなっているのです。その後は光格天皇が復活させるまで800年は使われていなかったのです。つまり大嘗祭は無かったのでしょう。明治新政府は天皇の地位を高め国内統治の点から明治4年に大嘗祭を大きくさせたのです。光格天皇から孝明天皇までの三代は京都の皇居内で小さな大嘗宮で行われた皇室行事だったと言われています。