小諸城趾公園(懐古園)の紅葉2 |
奥山の 岩垣(いはかき)もみぢ 散りぬべし
照る日のひかり 見る時なくて
(意)山奥の岩垣紅葉は、美しく色づきながら、光をあびることなく、散ってしまうだろう。そのように我が身も、世間の栄光に浴することなく、ひっそりと世を去ることだろう。
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2020年 01月 19日
11月16日の小諸城趾公園の紅葉です。カメラはニコンZ-6と24-120mmです。 小諸は諸方に通じた交通の要衝であり、戦国時代末期には武田信玄と上杉謙信による争奪が繰り返されました。小諸城は戦略上で非常に重要な城だったので、武田氏の歴代の譜代家臣が城代として在城をしました。武田氏滅亡後は織田信長の領土となり、織田信長の武将で 滝川一益は軍事と行政に非常に優れていた武将だったのです。織田軍の中でも羽柴秀吉よりも高位で関東を任されていて織田家の関東管領でした。織田信長が明智光秀に討たれたとの確定情報を受けると、滝川一益は主君の織田信長が本能寺で殺されたことと北条軍が北上中であり、滝川一益は北条軍と一戦して上方に戻る事を手紙に書いて支配下の武将達に通知をしました。小田原の北条氏は動員できるだけの兵力の5万6千で北上してきました。この時に滝川一益は1万8千の兵で利根川の支流の神流川の戦いで迎え撃ったのです。滝川一益が自分の旗本として率いて関東に下ってきた兵力は僅かに3千なのです。負け戦は確実なのですが、それなのに滝川一益にまだ多くの兵を集める力があったのです。この時に武州(埼玉県)の忍城の城主成田氏はそれまでは滝川一益に従っていましたが、北条氏北上と聞くと北条氏の軍勢に加わりました。一方で下野(栃木県)の佐野城の佐野氏は滝川一益軍に加わりましたした。それぞれの家の一族の考え方だったのでしょう。神流川の戦いでは緒戦では滝川軍は北条軍を圧倒しました。数の差で押し込まれて敗れました。多くの上州の武将が神流川の敗戦直後に一益の退却の時間稼ぎをするために追撃をしてくる北条軍に逆襲を掛けて立ち向かい討ち死にをしました。旗本ではない武将達です。普通ならば降伏をするか逃げ散っていたはずです。それだけ多くの武将達に滝川一益は慕われていたのでしょう。あまり現代では評価はされていない滝川一益ですが戦国末期の北関東の武将達の心を掴んでいたのです。 現在の小諸城の城構えは豊臣秀吉の最古参の旗本だった仙石秀久が秀吉から小諸を与えられ武田信玄によって作られた小諸城を改造して作り上げたものです。仙石秀久は秀吉が亡くなると徳川家康に従いました。 古今集から藤原関雄のうた 奥山の 岩垣(いはかき)もみぢ 散りぬべし 照る日のひかり 見る時なくて (意)山奥の岩垣紅葉は、美しく色づきながら、光をあびることなく、散ってしまうだろう。そのように我が身も、世間の栄光に浴することなく、ひっそりと世を去ることだろう。 P.S. ☆ウラジオストクは「中国固有の領土」か=始まった極東奪還闘争 (4ページです) 中国共産党の公式研究である「東北行程」では明確にロシアのウラジオストクは中国の歴史的潜在領土と主張をしています。根拠は古代王国の渤海国がウラジオストクを領有していたからと言うのです。渤海国とは朝鮮半島北部の高句麗の遺民が建国した古代国家で、大和朝廷とも使節を度々交換していました。後に唐に併合されました。同じ様に漢の時代に朝鮮半島には漢の三郡が置かれ、漢帝国が直接支配をしていたから朝鮮半島全部は中国の歴史的潜在領土だと言うのです。現在この東北行程は関係各国の猛反発により主張はしなくなっていますが、根本に常にあるのです。たぶん沖縄も中国の歴史的潜在的領土であるといずれ言い出すでしょう。尖閣諸島も南シナ海も中国の領土だと言い出しているのです。これは明確なる覇権主義です!その理屈で行けばハンガリーも元王朝の別働隊のモンゴルに占領をされていた時期が有ります。ハンガリーも中国領土だと言い出すでしょう。つまり唾を付けたところは全部中国領土だと言うのです。 トランプ政権は利用出来る者は徹底的に利用して後で平然と捨て去るのです。気を付けないといけない政権なのです。 先日妥結した第一段階も問題点は解決をしたわけでは無く、先送りをしたり、お互いに自分勝手な理屈が通るようにしただけだと思います。今後次の第二段階はそんなに簡単ないい加減な話し合いは出来ないでしょう。中国側としては大統領選挙とぶつけるつもりでしょう。いまのところは中国は押されっぱなしの形です。今後はアメリカは香港と台湾の問題を使って中国側を脅しに掛ってくるでしょう。 これは広島地検としては本気モードになっているのかも知れません。河井克行前法相の実家までガサ入れとは形式的な捜査では普通は有り得ない話です。適当なところでお茶を濁すのかと思いましたが、今後の検察の捜査を見てみないと分からない状況です。根底には検察庁内部のお家の事情があるようです。安倍としては次期検事総長に安倍のお気に入りで安倍がコントロールが出来る黒川弘務東京高検検事長を据えたい意向だったようです。ところが、検察庁法の規定で、検事長以下のポストは定年が63歳となっているのです。黒川氏は今年2月8日に63歳を迎える前に検事総長に就任をしておかなければならないのですが、現職の稲田伸夫検事総長に意図的なのか退任の気配がないのです。稲田氏は次期検事総長に、林真琴名古屋高検検事長を充てる意向を持っていると言われています。このままでは安倍が自由にコントロールが出来る黒川東京高検検事長は退官が確実となります。それで現場は黒川検事総長はないと見て容赦なく自民党の国会議員への捜査に動いているのでしょう。いままで検察を使って森友学園疑惑や伊藤詩織さんレイプ事件そうしてスパコン疑惑等の安倍友達の犯罪に検察は不自然な不起訴や捜査が途中で終わる様なオカシナ検察の動き等、好き勝手なことが出来ていた安倍もそろそろ出来なくなると言うことです。安倍は生き残るためには一か八かの国会開催日の1月20日の冒頭解散しか手がありません。出来るでしょうか? 原子力発電は結果的に非常に高価になるのです。理由の第一は危険である事。それは福島第一原発事故で証明をされています。第二は放射性廃棄物の処理の最終処分場が無いのです。たぶん永遠に見つからないでしょう。何万年もの期間を安全に原発の現地保管すると言う事は毎年非常な高額なお金が掛るのです。それも何万年にも渡ってなのです。以上などから日本は原発の発電を早急に止めて、風力・太陽光・地熱・水力などの自然の再生エネルギー発電に舵を切るべきなのです。安倍政権は経産省と原子力村の利益のために原発発電に固執し続けているのです。日本国家や国民のためでは無く自分達の利益のためなのです。3.11直後は自然エネルギー活用の動きがあったのですが、その後誕生をした安倍政権が全部潰してきたのです。時間が経ちすぎて安倍によって失われた時間が残念ですが、いまからでも早急に国家予算を付けて自然エネルギーの活用研究に舵を切るべきです。野党も労働組合の連合の電力総連(電力会社の御用組合)のオカシナ動きに左右されず、日本国家と国民のためにハッキリと原発発電を否定をすべきです。 明らかに今回の台湾の総統選挙は習近平の間違いから始まったのです。あれほど評判が悪かった蔡総統が選挙で勝ってしまったのです。完全に蔡総統は敵失によって勝ったのです。習近平は「一国二制度による和平統一か武力統一か、どちらか選べ」と無茶な選択肢を台湾有権者に迫り、有権者は和平統一に対して「ノー」「武力恫喝に屈しない」と回答したと言う事です。習近平へはある意味で一部が正しい情報が上がっていたのでしょう。蔡総統の評判が悪く支持率も非常に悪いと言う情報だけを見て、台湾国民は中国との統一を強く望んでいると考えたのでしょう。2019年1月2日に習近平は「台湾同胞に告ぐ書」を講話し、2020年の台湾総統選に向けて「一国二制度」による平和統一を選択しない限り、武力統一もあり得ると脅したのです。これが台湾にとって大きな問題となり中国にとって逆回転を始めたきっかけなのです。これによって下がりきっていた蔡総統の支持率は急上昇に転じたのです。 ますます混乱をしていくでしょう。 武漢の病院は肺炎の患者で満杯と言われています。武漢以外の中国の大都市でも患者が広がっているはずです。タイでも深圳でも日本でも武漢に行った人達の間で患者が見つかっているのです。だれが考えても中国政府の発表はオカシイです。
by shata3438
| 2020-01-19 08:17
| 写真と政治経済
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