旧古河庭園の薔薇と紅葉2 |
雪のうちに 春は来にけり 鶯の
こほれる涙 いまやとくらむ
(意)まだ雪の残っているうちに春はやって来たのだ。谷間に籠っている鶯の氷った涙も今頃は融けているだろうか
詞書きに「二条の后の春のはじめの御歌」と書かれています。二条后は藤原高子のことです。宮中に上がり清和天皇の后となりました。その前には在原業平の彼女でした。高子が宮廷に上がると言うことで業平との間を裂かれてしまいました。そのために傷心を癒やすために業平は東下りをしたのです。それが伊勢物語の原点です。業平の書いた原伊勢物語があって、後世に付け加えられて現在の伊勢物語が出来たのでしょう。二条后は同腹兄の摂政藤原基経とともに子供の陽成天皇を補佐をしていましたが、同母兄の基経と争い基経の陰謀で陽成天皇は退位に追い込まれ、二条后は東光寺の座主善祐との不倫の疑いを掛られて皇太后を廃されました。善祐は熱海に流罪となりました。善祐が住んでいたと言われる屋敷跡が熱海に残されています。二条后と実の兄との不仲の原因はよく分かっていませんが次の皇位を巡っての兄妹の権力争いだったのでしょう。同じ母親から生まれた兄と妹でしたが仲が悪かったのでしょう。二条后は死後の33年後に名誉を回復されました。古今集が完成をした時代はまだ后位を剥奪追放された時期でしたが、勅撰和歌集(天皇や上皇の勅宣によって編纂された公的な歌集で国家プロジェクトとも言える)の古今集の始めから4番目の和歌として御目出度い和歌として載っているのです。宇多天皇の子供の醍醐天皇の当時は二条后の不倫が権力闘争による冤罪であることは周知の事実だったのでしょう。