小石川植物園の彼岸花1 |
町医者の小川笙船(おがわしょうせん)は享保7年(1722年)1月21日、目安箱に江戸の貧困者や身寄りのない者のための施薬院を設置することを求める意見書を投書しました。それを見た徳川吉宗は、南町奉行大岡忠相に養生所設立の検討を命じたとされています。小川笙船は小説「赤ひげ」のモデルと言われています。目安箱は江戸城辰ノ口の評定所前(現在の東京駅北口付近)に月3回設けられ鍵は徳川吉宗だけが持っていました。目安箱の名称は明治新政府により使われた名前で、江戸時代当時はただ“箱”と呼ばれていました。
大岡越前守忠相の辞世の句
松が枝の 直ぐなる心 保ちたし
柳の糸の なべて世の中
(意)この世の中全体が柳の葉のように揺れる世に、松のように揺らぐことのない「心」をもって生きたい。
言わんとしていることは正しいのですが面白味のない辞世です。
現在の小説などは必ず奥付と呼ばれるものが最後についています。奥付とは著作者あるいは編集者、発行者、印刷・発行の年月日、版数や刷数、著作権の表示、定価など出版発売に関する必要事項を記載した部分の事です。これはむかしから一部書籍にはあったのですが大岡越前守が本の出版に際しては必ず付けるように命じたのです。これの理由の一つに猥褻(わいせつ)書を取り締まるために発した御触書(享保7年)によるものとされています。つまり出版の責任の所在を明らかにする意味があったのです。





























