9月19日の北鎌倉の明月院です。カメラはソニーα7RⅢと24-240mmです。
明月院は鎌倉幕府第5代執権北条時頼が別邸に持仏堂を建て最明寺と名付けましたが、廃寺となった後に第8代執権北条時宗が南宋からの渡来僧の蘭溪道隆(らんけいどうりゅう)を招聘して開山して禅興寺と名付けました。この禅興寺の塔頭の一つが明月院です。明月院は山ノ内上杉家の祖である関東管領上杉憲方が密室守厳(みっしつしゅごん)を開山として明月院を開創しました。禅興寺は鎌倉5山には入っていませんが格式の高い鎌倉5山に準じる寺院だったそうですが徐々に衰退し、塔頭の明月院に預けられていたようで明治の初めに廃寺となりました。
この時代多くの南宋の臨済宗の僧侶が元を嫌って日本に亡命してきました。南宋が元に滅ぼされる前に日本と南宋・高麗の三国間貿易が盛んでした。遣唐使が廃止されてから平安時代末期は平清盛らによる日宋貿易が盛んに行われ、平清盛は博多に日本で最初の人工港を築き瀬戸内海貿易路を掌握しました。それまで宋船は博多止まりでしたが大輪田泊(現在の神戸港の西側)を整備して宋船が直接瀬戸内海を抜けて大輪田泊まで入るようにしました。厳島神社は瀬戸内海航路の安全を守る拠点として平家一族の後援により繁栄しました。日宋貿易は平家を経済的に支え、藤原氏を凌ぐほどの力を持つようになりました。鎌倉時代になり北条氏は博多に大宰府に代わり鎮西奉行を置き日宋(南宋)貿易の拠点としました。宋からは宋銭・絵画・文具・陶磁器・絹織物・書籍・経典等が輸入され、高麗からは朝鮮人参などが輸入されました。日本からは砂金・硫黄・銅・日本刀等が輸出されました。
特に宋銭は日本の貨幣経済にとって最重要な輸入品でした。日本は708年の和同開珎以降、約250年間に12種類の貨幣が造られました。朝廷が発行した貨幣という意味で、これらは「皇朝十二銭」と呼ばれています。その後10世紀末には日本の貨幣の鋳造は無くなり、それ以来600年間は日本の朝廷の発行する貨幣は作られませんでした。10世紀末からほぼ200年に渡り貨幣による経済ではなく米や絹などの物品が貨幣の代わりをするようになりました。しかし商品の決済に大きく重く不便なために、代わって中国の銭が輸入され用いられる事になりました。中国の銭は大型船の船のバラストとして船底に積み上げて長期航海の船を安定させる効用もありました。多くの中国の銭が船底に積まれて日本にもたらされたと言われています。室町時代になると、渡来銭を真似た私鋳銭の鐚銭(びたせん)が大量に造られましたが品質が悪く信用度は大変落ちました。戦国時代になると各地の有力戦国大名は自国内だけで通用する貨幣を造りました。
宋船は航海に割合安全な朝鮮半島を経由して日本へ来たのだと思います。当然日本船も行き来していたと思います。また宋船は若狭国や越前国にも沢山来航してきていました。当初は博多へ回送するように指示をしていましたが、結局ウヤムヤになり若狭や越後も日宋貿易や高麗貿易の隠れた拠点となりました。瀬戸内海を通るよりも若狭あたりへ着く方が宋船にとって瀬戸内の海賊への通行料を払う事もなく航海の時間も短縮でき便利でした。日本の若狭の輸入業者にとっても若狭から京都まで陸路や琵琶湖の水運を使えば簡単でした。
下冷泉政為(しもれいぜいまさため)の家集「柏玉集」から
むすびこし 清水がもとは 秋ながら
くるるを夏と 思ふころかな
(意)昼日中、手に掬んで飲んだ清水のもとではもう秋の気配を感じたけれども、夕暮れる頃になると、やはり暮れてゆく夏だと思うこの頃であるよ
室町幕府第八代将軍足利義政から「政」の字を贈られました。下冷泉家の2代目です。

















P.S.
菅官房長官や下村元文科大臣そして稲田元防衛大臣また甘利元経済財政担当大臣の時とは政治情勢が違っています。安倍の力が自民党内で落ちているのです。片山大臣も先輩達と同じように訴訟恫喝が通用しないでしょう。「9月の自民党総裁選で、党員票が安倍224票、石破茂氏181票と肉迫されたのは首相にとって衝撃で、『石破は二桁に留まるはずじゃなかったのか!』と叫んだそうです。総裁選投開票日直前の一般調査では、石破支持58%、安倍支持41%という結果も出ていた。来年には参院選がありますが、『今度は負ける』と自民党員や議員も考え始めている」
国会で揉めるでしょう!国会開会中に現職大臣が辞めると火に油を注ぐことになります。森友学園・加計学園疑惑とともに「前門の虎、後門の狼」状態となります。
加計学園疑惑の前に森友学園疑惑があるのです。終わるはずの2つの大きな疑獄事件です。過去に疑獄事件は何度かありましたが、2つも大きな疑獄事件を起こして平然と政権を維持しているのは安倍政権だけです。世界でも先進国では例が無いでしょう。「仮に来年の参院選で議席を減らせば憲法改正もできなくなるし、負け方次第で、安倍首相の責任論から安倍おろしへと繋がっていく。内閣の是非を決めるのは国民ですから、参院選を注視したい」(政治アナリストの伊藤惇夫氏)
安倍の側近の一人である山口敬之はジャーナリストの伊藤詩織さんをレイプをしたのです。彼女の告発を受け警視庁が捜査の結果逮捕状を東京地裁の裁判官に申請し、裁判官が逮捕状を発布をしたのです。しかしその逮捕状を当時の警視庁の中村刑事部長が揉み消したのです。もみ消しを指示をしたのは安倍官邸の幹部からの指示だったのです。彼女はいずれ日本を代表する女性ジャーナリストになるでしょう。彼女の初のドキュメンタリー監督作品の「孤独の死」は2018年4月にはNew York Festivals International TV & Film Awardsで"社会問題"カテゴリーでファイナリスト作品と選ばれ銀賞を受賞しました。また伊藤詩織さんがカメラマンを務めた、アル・ジャジーラ製作のドキュメンタリー「Racing in Cocaine Valley」(コカイン谷のレース)もニューヨーク・フェスティヴァルのスポーツ・娯楽部門で銀賞を受賞しました。非常に今後が楽しみな女性です。安倍友の山口敬之はとんでもない女性をレイプしてしまったのです。しかし安倍に救われたのです。スパコン疑惑でも安倍友として補助金不正受給の橋渡しをした男です。検察がまともであれば当然補助金の不正受給の共犯で逮捕されてもおかしく無いのですが、安倍友であることで検察がアンタッチャブルの人物なのです。
何故安倍を始とする極右の人達は嘘ばかりをつくのでしょうか?歴史を改竄しようとすると嘘をつくしかないのでしょうが、では何故歴史を改竄しようとするのでしょうか?それは日本の戦前の日本に戻したいからなのでしょう。だから日本の戦争は正義の戦争であり正義の聖戦を戦った日本兵には残虐な行為は一切無かったとしたいのでしょう。事実を事実と認め、私達の父や祖父達が関与した歴史的な事実を深く反省することが重要なのです。
中東の諸国ではお互いの在外公館の中を盗聴と盗撮することは常識だったようです。その中でサウジのやり方は非常識でした。トランプも個人的にビジネスでも深い関係のあるサウジのやり方にはビックリをしたでしょう。15兆円のアメリカの武器を買ってくれる大国サウジです。トランプとしては適当なところで落としどころを探しているのでしょうが、間違いなくトランプは失敗をするでしょう。いまサウジのの皇太子を失脚させれば大統領個人のビジネスにもアメリカのビジネスも大損害となるでしょう。世界のジャーナリストが注目をしています。安倍の森友学園や加計学園の問題が収束をしないのは誰もが安倍の説明や財務省の説明に納得が出来ないからです。それと同じです。裏に隠れてトルコは拘束していた牧師を解放しトランプに貸しを作ったのです。
トランプの無茶苦茶なやり方ではいずれアメリカの国益に反することになるはずです。欲求不満になっているアメリカ国民にはトランプの滅茶苦茶なやり方は一時的に支持をされるでしょう。
最初から言われてきた事で、北朝鮮国内はトランプの経済制裁から、以前不足していた物資が逆に豊富に出始めているという矛盾が表れていたのです。トランプは何が何でも実績を作りたくて抜け道だらけの見栄えの良い経済制裁と言っているのです。とにかくトランプは中身など関係なく表面的な実績作りに励んでいるのです。
もしスカイツリーのKYBの製品を交換となると数ヶ月はスカイツリーの内部の企業の全業務を停止する必要が出てくるでしょう。放送設備もしばらく停止と言う事になるでしょう。その損害の金額はとんでもない金になるでしょう。地下の鉄道駅ももしばらくは業務が出来なくなるでしょう。当然トランプはKYBの問題を利用してくるでしょう。日本の経済にも大きな影響を与える事になるのは間違いが無いでしょう。
美智子皇后は戦後の日本の女性の中で一番凄い経験をされたと思います。決してブレませんでした。野尻湖畔の野尻湖ホテルに美智子妃が隠れて滞在をされていた時は本当に美智子妃にとっても皇室にとっても大ピンチだったのでしょう。偶然ですがその時に何時ものように野尻湖ホテルに叔父達とコーヒーを飲みに行き、黒服を着た人達に入り口で慇懃無礼に追い返された事がありました。あとで美智子妃が滞在されていたことを聞きました。最近になり野尻湖畔に美智子妃が滞在していた事や当時皇太子が何度かお忍びで野尻湖畔を訪れていた秘密が公になりつつあります。戦後の女性として物凄い体験をなさっていたのでしょう。戦後の皇室の中で昔から続いてきている古い皇室の伝統と戦後の日本の女性としての戦いだったのでしょう。それを雅子妃に引き継いでもらいたいと言うのでしょう。「静かなる叫び」と言うより内面の激しい叫びだと私は思います。